時を終えた。近所のデイでは暴れて断られ、片道40分のうちのデイに来ることになった。ただ、そこからが大変だった。デイの拒否は凄い、でも家にも居れない、保護される、暴れる。奥さんや息子さんらと無理やり車に押し込めた。それが家だけでなく、コンビニの前やグランドゴルフ場、完全に防犯カメラ見た人は拉致だと思っただろう。たくさん演技したり、騙したけど、根底にある恐怖から怯えるが如く、すごいパワーで抵抗してきた。家では取っ組み合いになり、爪で引っ掻かれて血だらけになった。強烈な頭突き喰らったのも鮮明に覚えている。俺は何度も奥様に、「俺からは断ることはしない。でも、奥様が辛かったらいつでも止めよう」と話してきた。でも、奥さんは最期まで俺を信じてくれた。誰も見て見ぬふりだった。そして、これも行政から虐待だと断罪された。悔しかったな。
家に到着する前に軽くストレッチをやるって、普通のデイじゃない(笑)。
でも、それから数カ月、いつの間にか俺の車を見ると自分から立ち上がり、スムーズに乗車するようになった。しかも満面な笑みで手を握る。到着してからも、俺が行くとこ行くとこ後ついてくるし、顔見ればニコニコしてくる、これが綺麗な女性だったらどれだけ嬉しいことかと笑った。ぶつかり合ったからこそ気が付く愛、それは第3者にはわかるはずもない。理屈じゃないだよ。
あれから4年の歳月。病に侵され、自分では食べられなくなった。猫を愛し、過呼吸で苦しみながらも俺のところに来てくれた。スタッフもぎりぎりまで一生懸命関わってくれた。断ることは簡単だ。でも、奥さんが「1日でも長く道さんへ」という声に応えた。一口食べる度に苦しそうにむせる。可哀想だった。そして、最期の利用日の帰りのこの1枚。「またな」って言っているかのようだ。でも、奥様の献身的な介護のお蔭で在宅で看取ることが出来たことは、唯一の救いだったかな。
葬儀を行い、これで、一つの時が終わった。なんだかなぁ〜、達成感じゃなくて、虚無感。ご遺族からは凄く感謝されたことは誇りに思うけれど、なんだか、やっぱり切ない。時と酒が解決してくれるのがわかるだけに余計にそう思う。
「選ばない、断らない、見届ける」、それは実践できたと思う。ただ、熱くなればなるほど、それを冷ますのには時間がかかる。
誰もわかってくれなかったからわかって欲しい思いはあり、他方、俺だけわかればいいと開き直る自分もいて、対局に居る己が辛い。ただ、純粋に、俺はこの人が好きだった!それだけかな。