家長よりご挨拶

不肖者:石津家長よりご挨拶

福祉って何だろう?

「あなたには何も取り柄がない。だけど、周りにはいい人がたくさんいる。だから、あなたはそういう人達のお蔭で自分がいるということを忘れちゃダメだよ。だから常にみなさんに感謝をしなさい。」

これはよくお袋が口癖のように私に説教する言葉です。

たしかに、自分は本当にろくでもない男でした。横道に逸れ、親を泣かせ、友を裏切り、すべて自分が正しいかのように、わがままに過ごしてきました。本当に周りの皆さんに支えられて、今の自分がいるということを痛切に感じています。

26歳の時、母のガンをきっかけに福祉の世界に入りました。人相は悪い、態度も悪い、笑顔もなければ、資格もない。履歴書は不自然な空白だらけ、右も左もわからない状態で、この世界に入ってからようやく10年が経ちました。その間、資格取得の壁、機械的介護の実態、経営・利益重視の福祉など、様々な矛盾と葛藤を繰り返してきました。

「一体、福祉って何だろう?」

その答えを探し求め、今、私はようやくスタートラインに立ったと思っています。

家族福祉の創造に向けて

私はこの福祉の世界に入るまでに、良いことも悪いことも含めて、様々な経験をしてきました。もちろん、後者の方が多いに決まっていますが、だけどその分、人一倍「福祉」というものは「美しいもの」としてのイメージが強すぎました。変な話、俺みたいな汚れた男が、そんな神の使いごとき、聖職のようなことができるわけがない。いや、してはいけないとすら思っていました。

だから、この世界に入ってからの衝撃は大きく、介護保険が始まってからは、介護ビジネス、福祉サービスという言葉が生まれ、あらゆる資格が登場し、そんな変わりゆく福祉の姿に恐怖を覚えたのであります。

もっと、「福祉」という言葉の意味を追求したい。相互扶助を見つめ、真の福祉を目指したい。お金じゃない、熱い心があれば福祉なんて誰でもできる。資格や学歴じゃなく、もっと人間味溢れる生活共同体として関わりたい。そして、共に泣き・共に笑い・いずれ訪れる別れのその時まで、一緒に感動を味わいたいと考えたのであります。
私が「家族福祉」という言葉を使用しているのも、そうした思いが根底にあるからです。

「痛み」を除くのは医者や看護師がやればいい、「悩み」を除くのは弁護士やカウンセラーがやればいい。私達はそんな知識も力量も無い。だけど、誰もが持っている「寂しさ」、病気や老い、精神的孤独などから生まれる「寂しさ」に対しては、もう一つの家族として、支えていくことができるのではないか。限られた時間の中で、その人の「したい」ことをいかに実現できるかが、私達の使命であると考えたのであります。

昨今の介護事業は、専門性が重要視され、何かと難しく考えがちではあるけれど、そんな理屈じゃなく、もっと純粋に「したい」ことを支援することが大事だと思います。ケアプランも大事です、でも、一人の人間として直感的な願いというのは、サービスという名の定規だけでは測れないと思っています。困ったら支え合う精神とケアに可能性を見出すことが、本来の福祉の姿だと思っています。

でも、簡単な話をすれば、私は馬鹿ですからあまり難しいことが嫌いなだけです。それでもって、自分はわがままですから、利用者に対しても「別にいいじゃない。Ok、Ok!」とつい言ってしまい、よくスタッフに怒られています。

ダメな経営者かもしれないけれど

しかし、そんな理想ばかり抱いているので、正直、ここはお金儲けができません。こんな私ですから、所詮、経営者としての器もありませんし、むしろそれでいいと開き直っている位です。いや、もっと言えば、福祉の仕事をして儲けを得ることが心苦しくてたまりません。私は高校の講師を4年程やっていますが、自慢じゃないけど高卒の初任給より給料は低いです。うちのスタッフも、本当に安い賃金で頑張ってくれています。

たしかに給料は低いより高い方がいい。でも、この福祉の仕事に携わる人間として、多くの利用者からお金では買えない人生の師としての教養、親子を思わせる愛情、そして人と人との出会いと別れという感動を頂いている。私の考えは古いかもしれないけれど、介護をサービスとして提供して報酬を得ることが恥ずかしくて仕方ないのです。個人的に、「介護がサービス?」ということが、生理的に受け付けないのです。

憩の家 みち の最大の強み

私がここを立ち上げた当初は、介護保険ではなく、有償ボランティアという形で新しい介護を実現していこうと模索していましたが、やはり経営面において、どうしても限界が見えてくる現実がありました。

だから、強い思いはあっても、こちらも生活をしていかなければなりません。その為介護保険制度の基、まずはルールに則って適切な報酬を頂くことにしました。その考えになるには、本当に長い年月がかかりました。でも、それだけで終わってしまえば、私の抱いている矛盾は何処かに消えてしまい、ただのウンチク野郎と言われてしまいます。

では、どこで整合性をつけようか?そう悩んだ答えが、利用者や家族にもっと還元、いや、恩返しをしよう。それは、出会えたことへの感謝を込めて半永久的に継続していこう。そして、事業収益の一部をボランティア活動資金として使い、様々に悩み苦しんでいる人達の手助けとなれるような活動をしようと、決定したわけです。

つまり、そのことで、利用者や家族の満足を得ることができ、福祉人としての職責を全うし、福祉がビジネス化した現代社会に一石を投じることができると信じています。

それが、憩の家 みち の最大の強みだと思っています。

私達は、利用者がお亡くなりになっても、壁に貼ってある写真は取るつもりはありません。その身はなくても、感謝の思いを込めて花束を贈ることも、お茶を飲みながら思い出話に花が咲くこともよくあります。そうした家族との交流は、この道がある限り継続していこうと思っています。そして、自分達のできる範囲で、ボランティア活動も積極的に実践し、病気や孤独で苦しむ方々に少しでも力になりたい。皆様から頂戴した熱い魂を、今度は、それを「生きる望み」という希望に変えて発信していきたいと思っております。

それこそが、出発点である慈善・慈悲活動になり、日本人として培った「お互い様」という心の継承に繋がると私は信じています。

しかし、それが実現できるのも、理解あるスタッフやボランティアの方々のおかげだと思っています。

「みんな、本当にありがとう!」

不良中年からフクシマンに変身を

私はよく教え子に、「福祉は夢を与える仕事、小さい頃に憧れたヒーローと同じ」と、話をすることがあります。ウルトラマンだって強いだけじゃない。もちろん弱点もたくさんある。疲れたらカラータイマーもなる。この仕事とまったく一緒。

でも、何より共通している点は、あくまで困っている人々を、身体を張って救うということ。つまり、主役は住民であり、自分はあくまで脇役であるのを認識することです。困っている人をどうすれば救えるか、それが最大の目的です。

そして、ヒーローは目的が達成されれば、何事もなかったように去っていき、遠くで皆の喜ぶ光景を見てこっそり優越感に浸る。そう、一見、脚光を浴びている正義のヒーローも、実は根暗で、自己満足度が強く、この仕事と同じだと思っています。

私もできるならヒーローと呼ばれたい。困っている多くの人を救って、上手くことが済んだらサッと消えて、「俺ってすごいよなぁ〜」って言いながら、家で勝利の美酒に酔いしれたい。不良と呼ばれた私が、そんなヒーローには成れないかもしれないけれど、この福祉の世界に入って10年の節目、そろそろ変身してもいいかなぁと思っているところです。

人の為に生きる素晴らしさ

とはいえ私も36歳にもなり、今だ独身。さすがに、福祉を求める前に嫁さんを求めろ!と突っ込む声が聞こえてくる歳になりました。

たしかに、自分の将来のことも考えなくもありません。でも、私は昔から落ちこぼれで育ってきて、人に散々迷惑を掛けて生きてきました。そしてこの世界に入り、多くのお年寄りとの出会い・別れの中で、たくさんの感動を頂戴してきました。

10年前、「あの石津さんってね、バイクでお婆ちゃんを跳ねて死亡させ、しばらく少年院に行ってて、出所して、今はその罪滅ぼしの為にこの仕事をしているんだよ」、そんな噂が飛び交っていました。

もちろんそれは嘘ですし、今となっては笑い話です。

でも、自分を犠牲にしてまで相手に尽くす、とは言いすぎかもしれないけれど、「人の為に生きる」ことの素晴らしさは自分なりに肌で感じ取ってここまで来たつもりです。

ALSでお亡くなりになったNさんはこのように言いました。

「人は生きる為に喰うに非ず。喰う為に生きる無かれ
人は皆、人の為に生きられよ。自ずと道は開かれん」

私は、この詩を読んで、悩み続けた青春時代、将来を悲観していたプータロー時代。そして、この世界に入った自分と、これからの自分。それらを「道弘」という名前と照らし合わせた時、なぜか心が落ち着き、自分がこれから何を成すべきかという明かりが見えてきたような気がしました。

自分に課せられた使命は、その詩に込められています。

もう一つの家族として

「福祉とは何か」を追い求めて10年、ようやく一つのキーワード「家族」というものが見えてきました。ここには0歳から100歳近い方まで、皆が一緒の目線で、同じ土俵で、狭い部屋に片寄せあって過ごしています。子供を眺めながらこぼれる笑みは、お茶を飲みながら輪になってくつろぐ光景は、いつの時代も変わることのない、家族としての温かみを与えてくれるような気がいたします。

小さなこの空間で、もう一つの家族として支えあい、この道を共に歩み、共に証として残すことが、私達の何よりの願いであります。

それともう一つ、
何より「家族」ということの大切さを教えてくれたのは、両親以外ありません。甘えん坊で、逃げることばかり考えていた俺を、どんなことがあっても見捨てることなく、逃げず、正面から向き合ってくれたことが、こうした考えに結びついたと思います。

身体も小さくなり、時の流れの無常さに、落ち込むこともあるけれど、おじさんとおふくろには、本当に感謝しとるよ。

「ありがとな」

今こうして、最高のスタッフと共に家族福祉の実現に、新たな一歩が踏み出せたことを心から感謝申し上げると共に、福祉人としての責務を、全身全霊を込めて実践していくことをお誓い致します。そして、そうした福祉に対する熱い思いを、俺達のポリシーを、小さい背中を見て育つことの大切さを、若い世代に一つのバトンとして、渡していきたいと思っております。

まだまだ、未熟な私達ではありますが、与えられた職責を全うし、多くの方の「生きる」手助けができるよう一歩一歩努力して参ります。今後も、皆様からのご指導・ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

生きる道

生きる道

憩の家 家長 石津道弘プロフィール

憩の家家長石津道弘
生年月日

昭和46年12月29日 O型 山羊座、独身、痛風

本籍

東京都品川区戸越

出身

埼玉県春日部市武里団地

東京○○大学卒(略して東大)、憩の家みちの代表、県内高校の非常勤講師、講演活動、老人施設の宿直員など行う。

静岡県福祉文化を考える会実行委員、静岡県難病市民ケアネットワーク会員、成年後見制度ぱあとなあ会員、飲兵衛倶楽部「ダラン・ドロン」会長

資格

社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員、社会福祉主事、認知症実務者・管理者研修終了、生涯学習インストラクター、労務管理士、大型2種など。

「福祉は資格じゃない。大事なのは心だよ!それを伝えたい!」

現在までの経緯

高校卒業後、親のすねをかじって生きる。水商売、営業など職を転々とする。19歳で頭を手術する事故を起こし、改心するかと思いきやフリーターを満喫。26歳の時、母の癌をきっかけに福祉の世界に入る。

静岡県人材センターの相談員から「あんた若い頃の石原裕次郎に似てる」とおだてられ、浜松市内の福祉施設で運転手として勤務する。働きながら大学へ通い、資格を取得。調子に乗って転職するも、理想と現実との壁に挫折する。

その後、年収80万まで落ち込み、ついに頭がおかしくなる。「福祉をする」とあらゆる反対を押し切り中古住宅を30年ローンで購入し、ボランティア活動を始める。お金も底をつき、平成19年4月より通所介護事業所として県からの指定を受け、現在に至る。

理想の福祉を追い求め、酒を浴びながら、足の発作に怯えながら、日々、迷走している長州藩士である。