よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

今こそ原点回帰へ

今回の介護保険の改正。たしかに色々と悩んだ。単価が下がり収入が減る。理想論だけでは飯が喰えない。加算を取ろうと思えば、ほとんどの資格要件をクリアしているから取れる。でも、結果的に、それをすれば利用者の負担が増える。収入の少ない方にとってみれば、なるべく自己負担を少なくさせてあげたいと思うのは当然だ。

俺の原点は福祉とは貧乏人の為にあると思っている。だけど、ここの維持存続。本当に悩んだ。

福祉という言葉を追い求め、ここを立ち上げてもうすぐ10年。やはり、俺達は原点に回帰すべきという結論に至った。つまり、利用者の負担を少なくし、本当に困っている人達のために、やはり立ち上がるべきだということだ。福祉とは、まさに自分との闘い。うちのスタッフも、それは十二分に理解していると思う。本当に有難い話だ。

多くの介護事業所は、この帰路に立たされて、悩んでいると思う。経営はもちろんのこと、人材確保も本当に大変になってくると思う。役人は、加算を取っている施設こそ、報酬で評価するという、安易なやり方でしか判断できない。利用者の負担という観点は、そこには全く反映されてない。もっとも、多くの医療法人や社会福祉法人が、福祉の原点というものを忘れているから、それは仕方ないかもしれないな。

金が入れば人は変わる。仕事の関係だって、家族だって崩壊するんだ。先日、うちの利用者さんが、朝の4時交通事故で亡くなった。親密な身寄りもなく、後見人がついていた。俺も訃報を聞き、すぐに病院にかけより、その2日後には火葬場で骨まで拾った。でも、その時に、最後にいきなり遠くの親戚が現れて、遺灰の全てを持って帰った。おそらく、多額の保険金が入ったんだろう。その人の長く暮らした同居男性は、どれほど辛かっただろうか。俺達は、この虚しい別れに、なす術がなく、ただ、泣くしかなかった。

俺達はこの憩の家みちを始めた原点。それは「懺悔」だった。俺は過去の犯した罪、親不孝をしていた自分、社会を敵に回していた己を恥、それに報いるがごとく動いてきた。でも、それが、いつしか企業としての業務に追われ、存続することこそに重きをおいていた自分に気が付いた。俺の悪い癖、調子に乗っていたことに、ようやく目が覚めた思いがした。

今考えれば、本当にあの頃はたくさん泣いた。本当に辛い過去がたくさんあった。思い出したくもない、封印したい過去。それは、みんな誰しも持っていることだろう。そんなこと自慢にも何にもならない。

でも、だからこそ、同じような俺達のような不幸を味わってほしくないと思う。親孝行できなかった代わりに、ここにいる利用者に対して、自分の親同然のように世話をしている。それはサービスとしての枠を超え、役人の馬鹿どもには理解できないような関わりを重視してきた。そして、うちのスタッフやここの子供達にも、俺達のような悲しい涙を流すことのないように、自分達でできる最大限のことをしてきたつもりだ。

みんなもそうだろうけど、たんさん泣いたからこそ、人にやさしくなれんだろう。だから苦しんだ。

先ほども述べたか、綺麗事で飯は食えない。だからこそ、どこか、何かのタイミングで、自分が変わる努力をしなければならないとは思う。でも、俺達は、福祉という大義のもと、そのギリギリまで我慢していきたいと思う。それこそ、ボーダーと呼ばれる生き方なんだ。

いつかは潰れる時がくるかもしれない。でも、原点を忘れるぐらいなら、自分から潰れた方がいいかもしれない。親子がいがみ合い、恨みあい、友が裏切り合い、罵り合い、そんなくそったれの世の中だからこそ、俺達はその信念を貫き通したいと思う。

馬鹿野郎。俺は己の身の丈ぐらい百も承知さ。そんな俺に、力はないのも知っているよ。でも、求めてくれるなら、こんなバカでも立ち上がらないといけない。


年寄りだけでなく、仲間も、そして子供達も、みんな幸せな人生を送ってほしい。俺達のような悲しい涙を流す人間を、1人でもいいから少なくしたい。それが、この憩の家みちが存在する、唯一の価値であると思う。だからこそ、俺は闘うんだよ。逃げてきた過去の自分と対峙しながら、明日の笑顔の為に闘ってやるよ。

困ったら俺のところへ来いよ。何とかしてやっからよ。

投稿日:2015/03/28 10:43:07