よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

福祉とは教育である。

俺は仕事柄、色々な家庭を見てきた。でも、最近特に思うのは、親を罵倒する子が多いこと。もちろん、高齢者に対する虐待も多い話は聞いている。それは何とかしても阻止しなければいけない。でも、その前段階で、やっぱりしっかりとした対応をしなければならない。自分の親に対する言葉づかい、それは本当に大事だと思う。


親が子どもを教育するということ。それはしつけでもある。だから、叩くこともある。子供はそれを根底に持ち続け、その恨みを言葉の暴力として晴らす。そんな大人が、今本当に多いのが現状だ。その背景にはいろいろあるが、結果最悪の結果になることは想定できる。

戦争の恐ろしさは、言わずと知れたこと。でも、戦前、戦後教育の恐ろしさ、多少まがった道理でも、上から押さえつけて是とする手法。今でいえば虐待とも思えることもそうだ。そうした戦後教育から学んで育った子どもが育つ。それこそが、何より恐ろしいものだと思う。

俺は今、子どもの貧困問題について勉強をしているし、自分達で何ができるかを模索している。子供のころからの家庭教育、学校教育、貧困がもとでそれが達せなくなる。親を面倒みるのは子の使命という教育ができない。親が子を愛し、子が恩を返す教育が浸透してない。子供の虐待もDVも、この崩壊した福祉社会も、みんな大人のせいだと思う。子供を愛せなくなった大人のせいなんだ。

いい年こいて、自分の人生だ、趣味だ恋愛だって、どれだけ日本は平和ボケしたかと思う。

もちろん、思い通りならないこともある。家庭教育では限界があるから、学校であったり、近所の人であったり、上司や先輩であったりする教育ができる。今は、そうしは社会教育環境が少ないことも大きな要因だと思う。それはお金だけでなく、愛情の問題だと思う。日本の古き良き文化はそこだったような気がする。

貧困も虐待も、あらゆる福祉政策も、根本は教育、しつけの改善なんだ。辛いのはいつも弱い子供だ。道をはずれた不良少年、うつ病の子も、みんなそんな身勝手な大人の犠牲者なんだ。それでいて、大人は上辺ばかりの平等をならべて、説教をしたがる。まぁ、大人への挑戦が、若者のエネルギー源みたいなものだし、俺もそうだった。

大人は外で闘うもんだ。だから、常に愛情なんて与えることなんてできない。自分の都合で時に子供を愛して、いらない時はけむたがる。合理的に考えるあまり、原因は子供にあると責任転嫁する始末だ。俺もそうだけど、大人らしい大人なんてどこにもいないかもしれないな。社会的な大人の評価でなく、人間的な大人の評価制度があればいいと思う。

でも、そうして育った子供は、また、同じことを我が子にくりかえされる。親を罵倒する子は、きっと我が子に罵倒される。親の介護を放棄する人間は、同じ目にあうと思う。そんなんじゃ、いけないのはみんなわかっているけど、繰り返しちゃうんだよ。

特に思春期の一番大事なころ、腕力で押さえつけられていた頃とは別に、もしかしたら勝てるかもしれないと思ったころの教育が一番大事だと思う。大人への切り替わり、その時に、いつも擁護してくれた、そんな親を尊敬し、時に不憫に思う心を養うべきだ。同情できるかどうかだと思う。

この国は真の福祉国家となるためには、教育、しつけを重んじるべきだ。勝ち負けで将来が決まってしまう、このくそったれのこの国で、お互い支え合い、助け合う、当たり前の福祉の心、勉強じゃない、スポーツじゃない。大人になるためには何が一番大切かを教えていかなければならない。

福祉は幸せな家庭環境だ。でも、貧困、障害、虐待、格差、言葉の暴力も全てがはびこっており、その妨げとなっているのはある。

俺は大人が嫌いだった。でも、気が付いたら、そんな嫌いな大人になっていた。だから、子供達にいいたいんだ。「俺だけは違う、違うんだ」って。だから、そいつらの為にも、悩んでいる子供達のために生きていきたい。俺は縁あって、様々な学校で講演させてもらうが、微力ながら、そんな教育者としての一角を担っていきたいと思う。

俺はたくさんの年寄りを見てきた。きれいごとではなく、やっぱり老いることはみじめそのものだと思う。妻や友にも先立たれ、息子らからは邪魔者扱いされる。耳が遠くなれば話もしてくれない。本当にかわいそうな存在だ。それは自分のせいもあるかもしれないが、それを指をくわえてみているのも悔しい。

でも、子ども大人を、年寄を敬うべきだ。自分1人のちからで、大きくなったんじゃないということを、もっと自覚すべきだし、俺は、その意味で、親子教育ということの重要性は主張していきたいと思う。

教育と格好いいことを言ったって、俺ができることは知れている。所詮、まともな勝負なんてできやしない。テロでも、クーデターでもやってやるさ。子供の為に、全ても捨てても構わない。それが大人としての最低限の使命のような気がする。

社会からすれば最低のこんなダメな大人ではあるが、こんなくそったれの親子関係を打破するためには、もっと俺たちが考えなければならない。そして、大人達は、子供たちを守り続けるために、常に戦わなければいけないと思う。

介護保険に頼らない、真の福祉国家になる近道は、福祉教育、家族教育の重要性であることを、説いていきたいと思う。


投稿日:2015/01/15 14:17:36