よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

宿泊支援についての決意表明。

以前、うちでも無料で宿泊支援を何度か実践してきた。ある年寄りとは、約3年間、毎週土曜日、無料で宿泊してきた。もちろん、夜勤者は俺一人。昼も仕事をして、体力も限界だった。その後、その人の家族環境も落ち着いたことで、しばらくそうした宿泊支援は行っていなかった。

でも、最近になって、ご家族からの要望が強くなり、それを実践せざるを得なくなった。ある家族から、「他ではどこも受けれてくれない」「どうしてもみちさんで泊まりをやってほしい」という声があった。たしかに、以前より、宿泊を希望する家族は非常に多いのも肌で感じている。しかも、ショートはどこもいっぱいで、ちょっと問題があれば平気で受け入れ拒否をしてくる始末だ。

俺は、その泊まりのニーズは把握しながらも、敬遠していた。多くの小規模デイでは行ってきているが、「ちょっとそれって違うんじゃないか」と思い、距離を置いてきた。それを行うことで、昼間にも影響があることを恐れたからなんだ。でも、実際問題、最近、利用者数も少なくなってきている。生き残りをかけて、そうした、泊まりなどの付加価値がないと、正直、昼間だけのデイだけでは、競争には勝っていけない現実もある。だから、それ自体は仕方のないことだと思っている。

ただ、俺は措置制度からデイサービスに関わり、介護保険制度が始まってからも時代の変遷を見てきたつもりだ。だからというわけでないが、俺は誰よりもデイ人として高いプライドがある。そこらの中途半端なやろう共とは訳がちがう。デイの持つ役割、意義、その可能性を、俺たちは追い求めてきたんだ。この道が俺の天職だと感じたのは、そこにある。

だから、デイ人として、そこの施設で泊まりをやるということは、ある意味、ルール違反であり、手を出してはいけない聖域なんだと思う。それをやってしまうと、いずれ、それが主になってしまい、本来のデイの持つ役割を忘れてしまうからなんだ。家族もそれに甘え、俺達もそれに追われる。そこに利用者の人権、安全性が本当に確保されるか疑問だった。

今では、「有料賃貸住宅、終身介護可能」なんて嘘八百ならべやがって、意味もなく毎日デイに通わせている施設が非常に多い。ケアマネも、家で見られないからって、やむを得ずそういった施設に入所させて、毎日デイサービスへ行く計画を平気な面して立ている。そこに、その年寄りの人権なんてへったくれぇもねぇ。あるのは、「どこでもいいからみてくれ」というだけ。介護保険の在宅サービスの選択制なんて、これっぽちもない。

利用者の人権を無視して、毎日のように、同敷地内のデイに通わせ、ヘルパーを派遣させ、家賃収入を取ったあげく、介護保険請求もきっちりしている。まさに、年寄りを食い物にしている言葉がぴったりであり、そんな理不尽な状況が、今のこの世の中は平気で行っている。そんな不満も、誰も口に出す奴はいない。

たしかに、「どこでもいいから看てほしい」という声はわかる。それは、どこでも断られた人なら、なおさらだと思う。その意味で、どこかしら受け皿のなるべき存在は必要であるし、環境の整備は急務だと思う。

俺が今まで介護に携わり、色々な家族を見てきたが、その立場には、大きくわけて2つある。「もう限界だと介護を放棄する人」「もうちょっと頑張ろうと継続しようとする人」。その二つに結局なる。

前者では仕方がない。どこかに入所待ちをして、それまでつなぐしかない。それまでは我々もできることはすべきだと思う。ただ、我々が支えるべきは後者の介護者であるべきだ。ちょっとでも、可能性があるならば、それをサポートする応援団でなければならないと思う。何度も言うように、俺達の真の目的は、「家族愛の復活」だからだ。

うちに泊まりたいという人も、他ではどこでもダメだった。ショートの不信感も多々あった。でも、家族だって、毎日は大変だから、用事があるとき位、何とか見てもらいたい。それは当然のことだろう。だから、俺はそんな人達のためにやってやろうと思った。

自分達で、居宅介護事業所(ケアマネ)をもっているところはいい。なんだかんだ言っても、自分達の施設に囲い込みができるからな。でも、俺達は、それをせず、このデイ1本でやっていこうと決めた。しかも、この地で捧げることに決めた。評価されなければ、潰れるだけだ。他の事業所みたいに、私利私欲に走り、自分達のことしか考えらないようなバカになるくらいなら、止めちまった方がよっぽど気が楽だ。

だから、俺達の泊まり支援は、あくまでボランティア。無料でやっていたし、これからもそのつもりだ。本来ならば、介護保険制度の中で整備されているサービスを使うことが、本来の趣旨であり、利用者にとってもその方がいい。だから、あくまで我々の行うべきは、その補足にとどめるべきであると認識している。うちに来ている方で、我々を信頼してくれているのであれば、それは「お互い様」で、助けあうべきであり、それが本来の「福祉」の姿だと思う。

とはいえ、泊まりはリスクも伴うことも現実だ。いくらボランティアとはいえ、怪我があっては台無しだ。それに、うちのスタッフに、それをやらさせるわけにはいかず、当面は俺が一人でやることになると思う。

もちろん、夜も昼も、これからやるとなると、体力面で心配はあるけど、介護者さんも、そこまで苦労しているんだから、だったら、俺だって限界まで挑戦したろうって思う。それが、微かな可能性がある介護者さんたちの為にできる、唯一の手段だと思う。

俺は25歳でデイサービスの運転手で働いた。それから17年。デイ人としてのプライドは誰にも譲れない。あくまで、俺達の勝負は日中だ。だから、あくまで宿泊支援は、付加価値として行い、主体になってはいけないと信じている。メインはデイだ。うちのスタッフにも、それだけに全力を投じてくれればそれでよい。

俺の家は貧乏だった。でも、親の面倒を子が看るのは当たり前だと言われて育った。それができない家庭、やりたいけど事情がある家庭もあって当たり前だ。うちに来ている家族のほとんどが、そうした「限界」との境界線を、常に行き来している。でも、俺達はいまこそ、「親の面倒は子が看るのが当たり前であり、それが美しい日本人としてのプライドである」ということを、世に伝えなければならないと思っている。

「できないところがあるなら、俺達がやる」「だから、もうちょっと頑張ってください」そうした相互の理解こそ、福祉の根幹であり、「福祉の大切な心である」と、声を出して言わなければならない。

また、限界との挑戦になるが、俺は、福祉道を貫く奴らこそ本物であると、強がっていたい。
投稿日:2013/12/07 10:55:49