よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

俺は性格破綻者ですが何か?

俺は、おやじから「年寄りの世話して金儲けなんてするな。お前のやっていることは当たり前のことで、そんなのは福祉でもなんでもない。偉そうにするな。」と言われてきた。俺の仲間からは、「イッチは年寄りを騙して銭儲けているからなぁ」と揶揄される。それもこれも、ごもっともの意見だ。恥ずかしながら、返すことばすら見当たらない。

だからこそ、俺は、事業は事業として割り切ってデイを始めた。収益も赤字にならなければいいと思いながら7年。ちょっとずつ積み立てて、マッサージ機を購入し、増築したり、お風呂の改装もした。それもこれも、利用者が満足してもらうためにやってきた。つまり、多少なりとも収益はあったからそれができるわけだ。うちのスタッフも安い賃金で本当によく頑張っている。それも経営が成り立たないと上げられない。俺のきらいな銭儲けもしなければやっていけないのが現状だ。

先の親父や連れからの意見も踏まえて、俺は収益の一部をボランティアとして活動する資金にしたり、自分達のできる奉仕活動はやってきているつもりだ。もちろん、それで「福祉」をしているとは言えないが、少なくとも、今の「何でもアリ」のバカ介護事業所とは違うと自負している。

俺のこの業界の知り合いも、この高齢者産業の追い風を受けて、どんどん新規事業を拡大している。バカの一つ覚えのようにな。正直、ねたみも否定はしないが、どこもかしこも同じことやって、「年寄りの為」とか言いながら私利私欲が丸見えの奴らばっかりで呆れてくる。まぁ、できる財力があるのはうらやましいがな。

それに最近じゃ、高齢者専門のゲーム、ギャンブル、場所によってはホステス、ホスト、マッサージ、ヘルスのような風俗調のようなサービスを取り入れる施設も増えている。たしかに、何の決まりもないこの世界だから仕方ないけど、ちょっと常識を考えてほしいと思う。(俺が常識を語るのも変だが)デイを楽しむことはいいけど、色気使って楽しませるなら、他の一般の風俗でも行けよっていいたくなる。たしかに多様性は増えていくと思うが、やっていいことと悪いことのモラルぐらいわかってほしいと願う。

今では介護予防事業所がたくさん増えてきている。高齢者専用のマシーンを使って、腕や足の筋力トレーニングをしており、今後も更にそうした施設は増加するだろう。数時間預かり、お風呂食事はない。介護予防、身体能力向上に特化した施設はたしかに大事であり、現に、本人や家族のニーズが高まるのも理解できる。それに、数字しか正確にできやしない御上の考えることは、今後も介護予防に力を入れて、介護保険予算を減らしたい、力を入れている姿勢を数で示したり、事業所からは根拠のない実績を求めてそれを単位数で評価する。そんな見え見えの思惑の両者は合致していると思う。

俺は、介護予防うんぬんに関しては特に意見はない。うちだってそれはやっているから文句も言えない。ただ、俺は単純に、よく中身も理解していない高齢者が、「これから身体レベルが落ちるから絶対やったほうがいい」みたいな、わけのわからんケアマネにあおられて、まじめてにやっている姿がかわいそうで仕方がない。「あなたの為」じゃなく、それは、自分とその施設の為ということがあるからだ。

それに、俺はビジュアル的に、年寄りが何人も集まって、トレーニングマシーンに座って、へっこらへっこらやっているのも好きではない。俺の考えは古いかもしれないけど、一種の「異様」な感じとも思えるからだ。そこで働いている奴らも、いかにトレーナーみたいな面してるけど、何の知識も技術もない奴らばかりなのにな・・。でも、そんなにトレーニングやりたかったら、ちゃんとしたスポーツジムへ自分達の金払って行けばいいじゃねぇか。そんなことまで、公的資金が使われている介護保険で面倒見る必要性がどこにあるのかと、心から思う。

俺たちのスタンスはあくまで介護だ。できない人に対してできないところを助けていく。その原因を考えで、微力ながらなるべくできるように支援していく。介護予防に関しても、あくまで生活動作の中でのリハビリしかできない。いや、むしろ、それができれば充分だと思っている。
食事、入浴、排泄、整容、交流ができればそれでいいとすら感じており、それ以外のトレーニングは、俺たちは行うする必要性はないと思う。科学的に、Aさんの筋力がどうのこうのって、そんなのは違うところでやれよって。困った人を救うのが介護保険だろってな。

必要性があるのはわかるが、てめえのお金でやりたい奴だけやればいい。年寄りはきれいごと言ったってレベルは落ちるのは当たり前であり、そんな予算があるなら、これから伸びる子供たちの為に使ってやれよって思う。

でも、今の高齢者像も、だんだん変わってきているから、そんな俺の理想も時代遅れなんだろうな。年寄り専用のトレーニングジム、ゲームセンター、ギャンブル、風俗業って、これからも増えるかもしれんな。

子供たちに、「だめよ。ゲームセンターやギャンブルなんてしちゃ」って言ったら、「だって、おじいちゃんやおばあちゃんだって、行ってるじゃん」て言われたら、親は何も言えんな。
なんだか、恐ろしい世の中になりそうだぜ。別に知ったこっちゃにけどよ。

俺はたしかにこの介護事業には向かない男だ。栄枯盛衰、今はいいが、やがて風化していく存在だろう。むしろ、それで結構と開き直ってすらいる。

俺はこの仕事を始めたのは「福祉」ということをどう具現化するかという大義の基、その過程として今の俺が存在している。その目的が達成されなければ、負け犬として、何の未練もへちまもない。「こんな汚い介護業界なんてやめてやるわ」って済むこった。

でも、俺はなんとなく大切な何かを忘れているような気がしてならない。たしかに、介護保険が始まって、「介護の社会化」が進んだ。それで、いろいろなサービスが増えて、利用する側も選択できる権利を得、俺たちみたいなそれで飯を食べれる人も増えた。たしかに便利になったのかもしれない。

ただ、先の親父の意見じゃないけど、そもそも介護って当たり前のことだった。それを対価を得てやっていることは恥ずかしいことなんだって考えるべきじゃないだろうか。困っている人を支える、それはあくまで自然のことであり、それが日本人としての美しい心じゃなかったのかと考える。たしかに、それはきれいごとだ。でも、何でもありのバカっつらばかりのこの介護業界には、そんなきれいごとの一つや二ついっても響かない。

そもそも、介護事業、とりわけ俺たちのようなデイサービスにとって何より大切なことは、「家族愛」の復活だ。家族のできないところをどう支援するか。デイの目的は「楽しむ」だけではなく、それがきっかけでどのように家庭生活でよりよい方向に導くかが重要なことなんだ。その時よければ、それでいい。博打や色気を使って、楽しかったバイバイ。で、終わらせていい問題じゃない。いかに、在宅生活をどう維持、継続させていくことができるか。その一端を、俺たちはどう手助けすることができかが重要なことだ。

ここでの実績をどう家庭環境に良い影響をもたらせるかが、本当の意味で事業所は評価されるべきことであり、「デイは楽しかった。だから、また行こう」という問題ではないと思う。家庭での在宅生活が、1日でも長く続ける為に、俺たちはたとえ客であろうとも、時の怒り、慰め、誉め、厳しく接しざるを得ないことも認識するべきであり、それが本当の介護の親切ではないだろうか。

そんな当たり前のことを、最近の介護従事者は知らない連中が多い。国もあほみたいな予算組んで、介護の人手不足を補おうと、どんどん馬鹿ども増やして、福祉の根幹を理解できない経営者が、高齢者と銭の数の見分けがつかないサービスを拡大化していく。

おい。お前ら本当にこのままでいいのかよ?いつしか、俺達は、介護保険という名の利権だらけ偶像から生まれた半端なサービスに酔しれ、勘違いだらけの綺麗ごと集団になっちまったんじゃねぇのか?

まぁ、所詮俺は性格破綻者だから、仕方がないがよ。酒に溺れるたび、そのような気がしてならない。
投稿日:2013/11/10 11:48:28