よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

2面性からの道へ

人間、誰だって2面性があると思っている。それが当たり前だと思う。

俺は、人前に出て講演をするたびに、自己嫌悪になって落ち込んでしまう。自分の思いを込めて熱弁している時は陽としても、陰の俺が、「お前誰だよ?お前は何様だよ?いつお前は人前で話せるほど偉くなった?そんなにお前、自分に自信があるのかよ?」ってな。

いつも、講演が終わると、一人酒を飲み、反省し、そんな陽と陰が常に葛藤をして、出ない答えと共に酒と時が過ぎていく。

俺は北野たけしが昔から大好きだし、心から尊敬している。もちろんお笑いの天才は言うまでもなく、もう一つが、「笑い」と「恐怖」って、表裏一体であるということを表現していることなんだ。テレビではバカなことをやっても、映画ではやくざの恐怖を撮っている。あえて、人情味ある役者を起用して、悪役を演じさせる。そして、政治の話になれば、あの人は自らの発言を控え、あえてだんまりを演じている。俺の理解では、きっとあの人は、政治は「動」、つまり絶えず激しく動き回るものに対してあえて「静」で対応する。自分の立ち位置を理解し、それを見極めて行動を起こす。そうした、あの人の「表と裏」の使い方は、本当に尊敬できる。

誰でもそうした2面性を持つことが当たり前だろうし、すべてが自分の意のまま、一本木で生きていける人は逆にいないだろう。人はどこかで我慢をし、開放され、目的を達する努力をするものだから、そうしたはけ口としては必要なものであろう。

大人って、そうやって成長していくものかもしれない。

ただ、この介護業界はある意味「異常」だ。綺麗事の裏に、キッチリ銭勘定ばかりしてやがる。「人の為」といいながら、結局は「自分のこと」しか考えてない奴らばっかりさ。事業の経営者は金ばかり。従業員も表の笑顔は素晴らしいが、裏の心、魂がこもってない。(うちのスタッフは違うけどな)介護従事者が、本当の福祉。奉仕。人の為に尽くす思い。自ら行動してボランティアを実践するエネルギーすらまったくない。役場は市民、県民の為と言いながら、機械的、予算的、事なかれ主義。政治も経済も、社会も大人も、いや、世の中すべてが、きっと同じなんだろう。表の顔と裏の顔、きっちり使い分けて行動してやがるんだ。

正直、俺も、この憩の家みちを、もっともっと大きくしたいと思った。こんな最高のスタッフがいれば、必ずそれができると信じている。訪問看護、ケアマネ事務所なら簡単に立ち上げることができるし、今は成年後見制度も多様化しているので、社会福祉士としてのニーズも幅広くなる。介護サービスの先駆者として、やったろうと思ったときもあった。

でも、もう一人の俺は、必ず注意してくれる。「そんなことして、一体に何になるんだ。お前の最初の目的は『福祉を実践する』ことじゃなかったのか?福祉は心であり、それを助長させることが、目的じゃなかったのか?不良だったお前が調子に乗るな。『はぐれ福祉、純情派』こそ、お前の魅力、生き方じゃなかったのか?」ってな。

「だったら、とことんまで悩めよ。苦しめよ。そして、その中から自分の答えを出せよ」ってさ。

世の中の流れと共に、未来と過去の己の戦いに疲れ果てているのが正直なところだ。

「これでいいんだ」っていいながら「本当にいいんだろうか」って、不安で不安で仕方がない。人に悩んでいるところなんて見せることはカッコ悪いから、こんな文章を打っている。そうした、ことは真実の俺なのか?果たしてそれすらわからなくなるほど困惑している。

周りを否定する俺だって、所詮、表と裏、陽と陰だろう。悩み、苦しみ。そうした中で答えを出さなければいけないことは十分にわかっているつもりだが、とても辛いものである。

だた、唯一の救いとなったことが、先日あった。うちの若いスタッフとお酒を飲んだ時なんだ。彼女は中卒で資格もないけど、今、うちで一生懸命働いている。何も知らない娘が、本当に人間が変わったと思うほど、成長したと感じている。そして、お酒を飲みながら、「本当によく頑張っているな」って、本人に話をしたんだ。そしたら、彼女の目から一筋の涙がこぼれた。化粧崩れを心配しながらも、とても純で綺麗な涙でな、「嬉しいです」ってさ。

その涙の真意は、俺にはわからないけれど、今まで彼女は彼女なりに辛かったし、戦ってきたのだろうと思った。そして、俺の言葉一つで、彼女は嬉しいと表現し、涙を流したことは事実としてある。俺は、自分で常に「お前は何様だよ」って戦っている。でも、そんな涙を見たとき、表の俺、いや、現の俺は言い返してやるんだ。「こんな価値ある涙は、他にはどこにもない」ってな。

俺は、己を一つにしようと努力している。わからないけれど、うちに来ている年寄りクラスになれば、たぶんそれが一つなる?なっているような気もするが、若輩者の俺は、未だ格闘している。努力している。そういう意味でも、やっぱり、年寄ってすごいよな・・。

でも、そうした2面性は、調子にのってしまう俺にとっては、客観的に自分を評価できるから、まったくむだじゃないだろう。いい面もあれば、悪い面もある。

落合信彦が「変わろうとしないやつはいらない」って話した。そうした一つのきっかけになるならば、それは意味あることだろう。

でも、結局のところ、生きた証は一つしかない。つまり己の道だ。それが間違っていようが、不本意だろうが、後悔しようが、それが真実に他ならない。現存の俺こそ、答となるのだろう。

二面性からの道。俺の当面の課題となりそうだ。

投稿日:2013/03/16 12:36:13