よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

我、ここにあり!

俺は、この仕事に就いてから、色々の方と出会い、別れてきた。出会いはいいわ。一番辛いのは、別れだ。「死」だよ。そうだなぁ、数えたこともないけれど、たくさんの辛い別れを繰り返してきた。ただ、漠然と、生きて、出会って、死んで、忘れてを繰り返してきたような気がする。

最近、すごく思うんだ。それって、当たり前なんだけど、もっと直視しなきゃいけないなって。俺さ、死ってな、「最終権利」だと思うんだ。己の魂を表現できる、最後の主張の場だと思うんだ。おっと、俺は、変な宗教団体の人間じゃないことは付け加えておくがよ。

こんなことを俺が言てはダメだけど、正直、年寄りの命なんて、先が短いからどうでもいいんだ。でも、若い奴らが、自らの手で命を絶つことだけが、どうしても耐えられない。それは、人には言えぬ辛いこともあるだろう。到底、俺みたいな男には、そんな奴らの気持ちなんてわかりっこないさ。

でもな、介護を必要な方も、障害者の方も、自分の命が大切だとは思ってはいるものの、本当は、周りの幸せを考えているんじゃないかなって、つくづく思うんだ。たくさんの年寄りの死を見てきたけど、やっぱり、幸せなんだって、どこかで思う。長生きできたってことがさ。その長生きの中には、色々な幸せがあり、苦労があり、挫折があり、生きていた証がそこにあるわけだ。

俺は、あの人達が、結局何を言いたいのか?と考えて生きてきた。その答えは見えてないけれど、何となく「我、ここにあり」I、m stay here ってことかなって思う。そこを、俺たちは、先人に対する礼儀として、直視し、学び、生かす義務があると思う。

本当に・・、いろんな人がいた。いろんな過去があり、人生観がそこにあったよ。でも、「ありがとう」だけで、終わっちゃいけないんじゃないかなって、思う。もっと、もっと、その人を考えてやろう。思ってやろう。自分の人生と置き換えて、自分に何が足りないのか、自分の何が優れているのかを、学ぶ必要があると思う。

最近、俺は若い奴らに話をする機会が増えてきた。そんな中には、簡単に死にたいと口に出すやつもたくさんいる。でも、そうした、先人の生き方を、しっかりと学べば、きっと、若い奴らが簡単に最終権利を出す「死」というカードを、もう少しだけ抑制できる気がするんだ。

スーパースターの生き方なんてどうでもいいさ。そこらの、おっちゃんの、おばちゃんの、どん百姓の、貧乏人の、呑兵衛爺さんの生き方、考えた方、死に方こそ、「生」を学べる真髄なんだと思う。

今まで、別れの中で、たくさんの涙を流してきた。でも、最後は「ありがとう」しかなかった。なんか違うなって思いながらも、それしかできなかった。それが当たり前のような、バカな職業病に罹っていたわけだ。

俺もバカだ。お前らもバカだよ。人間ってバカだよ。でも、そんな先人の魂だけは、ちゃんと継承してやろうぜ。それが、バカな人間の良さだろ。常識だろ。礼儀だろ。

「我、ここにあり」。俺は、それを、今、出会っている人達に対して、表現する手助けをしているだけであり、たとえ別れが来たとしても、その魂を、受け継ぎ、生かすことこそ、この福祉の根幹ではないかと思う。

くそったれ。酒ばかり飲むと、そんなことばかり考えてしまう。どうすることもできないことは、自分が一番よくわかっているのによ。

己の馬鹿さ加減に、嫌気がさすわ。




投稿日:2013/03/03 10:28:42