この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。
尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。
よりみち
神谷のアニキ。さようなら。
俺の尊敬する兄貴。神谷さんが今日2時過ぎ、お亡くなりになった。愛する家族を心配しながらも、旅立って行ってしまった。
俺はこの人から、仕事も、料理も、男の生き方も、浅草の良さも、下町の人情味も、飲み屋のことも、裏社会のことも、薬のことも、喧嘩のことも、家族を愛することも・・。本当に色々学ぶことができた。
いいことも悪いことも含めて、本当にお世話になった大先輩だった。でも、その兄貴も、がんには勝てなかった。
痩せて苦しみ自分の姿を、後輩の俺に見せまいとして、最後までカッコいい先輩のままだった。亡くなる前、死んだら電話するようにと、立派な息子さんに伝言をお願いしたそうだ。
涙が出てとまらない。予測はしていたものの、悔しくて、残念でしかたない。不良少年だった俺に喝を入れ、優しく包んでくれた神谷兄貴に、感謝の言葉しか見当たらない。
いつまでも俺は忘れないよ。神谷さんと浅草の町を、ニッカポッカ履いて、ビール片手に飲み歩いたことも。神谷さんの家なのに、俺が当たり前のように入り浸っていたことも。遠くでエリカが生まれる時の朝、「今、子供が生まれる夢を見た」って、俺に言ったことも。俺は忘れはしないよ。そう、初めてフィリピンパブに連れてってくれたのも、神谷さんだった。
そして、このまえ会ったことは俺は一生忘れないよ。みんなで屋形船に乗って、ドンチャン騒ぎした帰り、一人寂しく隅田川の橋を渡って帰ろうとする兄貴の姿を見た俺が、涙ながしながら、「俺も行くから」って付いていっても、「わかった。大丈夫だから。俺は一人で行けるから。お前はむこうに行け」って、俺を諭してくれたことを。
あの後、俺は「なんで付いて行ってあげなかったのか」って後悔したんですよ。
神谷さんのような素晴らしい兄貴とは、もう出会うことはないと思います。俺にとって、最初で最後の尊敬できる兄貴分であり、理想の男だったと思います。
神谷さん。本当にありがとうございました。
また、あの世で、たくさんの武勇伝、作ってください。
そのうち、俺も兄貴のもとに行くからさ、そしたら、また一緒に酒飲んだくれて、悪いこともたくさんやって、夜の街を歩きましょうよ。
最高の兄貴へ、心より敬意を表します。
舎弟 石津道弘
投稿日:2012/05/03 15:43:29