よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

俺達は詐欺師である

俺の尊敬する東京の先輩からこんなことを言われた。「お前らは年寄りだまくらかして飯喰っているんだ」と。それは、全く事実そのものであり、俺は返す言葉がない。「利用者様に合った最高のケア」なんて偽善的な笑顔振りまいていながら、裏ではキッチリ銭勘定している。これを詐欺集団、年寄りをだましているマルチ商法と言われても、文句のつけようがない。

全てとは言わないにしても、利用者本人の意思とはかけ離れたサービスが提供されている現実があるが、それを誰も直視しようとしない。家族愛の希薄さが元として、ケアマネジメントという強引な手法によって、無駄なお金が動き、不本意なことが行われていることは少なからず事実だ。もちろん、そればかりではなく、ちゃんとニーズに合ったサービスが提供されている部分もあるが、本人と家族の考え方の違いからか、重度の認知症の方への対応などは、ある意味、「だます」ことで利用に結びつけることはやむを得ない手法であるとも言える。

家に帰りたいという認知症のお年寄りに対して、携帯電話で、「もしもし、帰りたいと言っていますが・・、そうですか、じゃ、もう1時間後に」。「1時間後に迎えに来てくれるからそれまで待ってましょうよ」と、さも家族と話したような策を講じて、それから何とか気を紛らわせていてもらうようにする。あるいは、大好きなものを目の前にチラつかせて、そこに気を引かせて、帰宅願望を回避させようとする。それらは、全く技術でも何でもない、年寄りを騙していることに他ならない。100のデータを用いても、やっていることは同じことなのだ。

俺は昔からこの介護業界は「詐欺師集団の集まりである」という持論がある。特に介護保険制度が始まってからは、真に福祉魂を持って業務に取り組んでいる奴は数少なく、「お年寄りの為」と言って、自分達の利益ばかり考えている奴がほとんどだ。それは、株式会社だけではなく、医療法人も福祉法人も同じであり、それは介護がビジネス化してしまった結果であるから仕方がない。少なからず、俺達だってそれで5年間も生きてこれたわけだ。

先日、ある施設のデイサービスの見学に行った。そこは自社で数名のケアマネージャーを抱えている施設だ。午後に訪問したら、音楽体操をしていて、1人のスタッフが前で手本を見せて、それに習ってやっている利用者は2、3名。他の利用者約30数名は、車椅子のまま、ほとんど目をつぶったり、独り事をつぶやいたり、ただ、そこにいるだけの存在だった。その他2名のスタッフがリーダーの合図に、誰もやっていない歌体操を行い、他の2、3名は書き物をしていた。

正直、「うちに来てくれたら、絶対にこんなことはさせない」と思った。こうした現状を、家族は本当にわかっているのかと疑問に思った。でも、ほとんどの利用者は、文句も言わず、ケアマネの誘導、家族からの疎外という理由から、無意味なサービスを使わされていている。自社のケアマネは楽な利用者ばかりを自分達で抱え込む。一方的に行った事象だけを実績として記録し、怯えるのは監査だけ。時間が経てばそれでチャンチャン。俺だったら絶対に許せないけどな。でも、それが現実なんだよ。

それが、本当に正しい選択なのかを説明せぬがまま、一方的に収益の一部として利用者が数えられていく。担当者会議では、さも、その人の為に俺達は一生懸命やっていますという話をする。そんな介護業界に正直、嫌気がさすときがたまにある。群盲ゾウを語る、たしかに、俺の感じてることはただの一片だけかもしれないが、そんな過酷な現実が、仮想福祉を求めている俺の心に、グサッと突き刺さるものがある。

俺達は詐欺師だ。詐欺集団だ。だから、俺はこの世界から早く抜け出したい。「いつまでもケアマネジメントごっこでもしてろや」って言いながら、唾吐いて逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。でも、そんなことなんてできやしない。それは、俺にとっては家族同然の大切な利用者さんが数十名いて、ここを楽しみに来てくださるからだ。だから、そんな人の為にも、簡単に逃げ出す卑怯なことはしたくないし、詐欺だろうが責任ある大人の対応をしたいと思っている。

俺は悲しいかな、趣味が仕事だ。正月以外は休みもなく毎日仕事をしている。だから、たとえ詐欺師であろうとも、俺達はご紹介頂いた利用者、一人ひとりに対して真剣勝負している。完璧とはいえないけれど、データに頼らず、自分達の感性で試行錯誤しながら、パーフェクトに近づけるように努力している。たしかに、介護保険制度のもと、できないことも多々あるし、微力で結果が出ず、悔し涙を流したこともある。でも、俺達は1日1日を悩み、苦しみ、模索しながら真剣勝負していることだけはたしかだ。

また、経営者の端くれとして、考えたくない数字の問題は避けて通れない。利用者の人数が減れば、うちらみたいな小規模事業所なんてもろに収益に跳ね返ってくるし、スタッフにもまともな給料を払えないという心配が常にある。魂だけでは喰っていけない現実がある。

でも、俺達はそんな中でも、確固たる福祉魂を胸に持ち、収益の一部を、難病患者さんの外出支援や慰問活動に使用している。宿泊支援だって、全ての利用者に無料で提供している。もちろんそれらは全てボランティア、奉仕活動に他ならない。つまり、俺達はそうした活動を通して、単なる詐欺集団ではないことを証明したいと思っている。

俺はこの介護保険制度の中で、利益を得ることを恥だと思っている。介護とは人間として当たり前に、ごく自然に行うものであり、対価を得てやるものではないということ。介護のプロなんてこの世に存在しないということ。でも、そうは言っても生活をしなければならない。だから、俺達は自分達のできる福祉の形を悩みながら模索している。正直、今実践していることが正しいなんてこれっぽっちも思っちゃいない。ただ、「俺は介護保険でご飯を食べさせてもらっている恥ずかしい男なんだ」「介護行為に値段を付けて、偽善的な福祉を振りかざし、生きながらえている恥ずかしい男なんだ」という自責の念は常にあり、その罪をどのようにして償うべきかと、それこそうつ病になるほど悩んでいる。華やかな介護業界を見る度、俺は独り孤独感に陥る。

私的な俺と公的な俺、自分を見つめる俺と他人と比較する俺、数字に追われる俺と個を求める俺、介護ビジネスと福祉思想、挑戦と挫折、欲望と無我。常に俺の頭の中には2面性があり、それは共に対峙し合っている。この世界に入って14年、「俺は一体何をやっているのだろう?」と、己との戦いに疲れ、逃げたくなることも多々ある。

ただ、俺だって「詐欺師」呼ばわりなんてされたくない。そのためには、どうしたらいいか、その答えがまだ見えてこない。でも、やらなければいけないことは認識している。それは、「今の利用者に対して、命を賭けて全てを捧げること」。この肉体の限界まで、俺がその人に何ができるのかを模索し、実践していくことしかない。そうすれば、いつかきっとわかってくれる。この熱い思いや地道な活動を認めてくれる時がきっとくると信じている。全力で取り組むと、その反動も大きく、俺の心もズタズタになる時があるが、ある意味、肉体的精神的限界の域まで達した時、一種の悟りの境地になり、俺のこの臆病な心は払拭できるのではないかと思っている。

いつ去っても悔いはない今こそ、俺はもう一度、利用者に向き合って生きていこうと思う。私利私欲を抑え、福祉人の模範とした行動を、あくまで現場第1主義の原点に立って、示していければいいと思う。

でも、もう俺も40歳になった。さすがに日中仕事して夜勤、翌朝も仕事して夜勤、それが続くと、体力的にヘトヘトになる。正直、身体的・精神的にも追い込まれ、旅立ちの夢も否定はしたくない。でも、ここまで生かせてもらったこの命、別に後悔もクソもないよ。詐欺師なんて言う奴には言わしておけばいいさ。綺麗事と笑う奴には笑わせておけばいいさ。俺はただ、己の信じる道を、利用者さん為、難病で苦しむ患者さんの為に、捧げていけばそれでいいんだ。与えられた時間の中で、それに取り組んでいけばいいんだ。その繰り返しこそ、怯える俺の心を唯一、癒してくれる特効薬になると信じている。

先人達は、あの地獄のような戦争を潜り抜け、深い悲しみの過去を乗り越えて今日の幸せをもたらせてくださった。そんな敬愛の念に立って考えた時、己の存在を超越した実践的福祉が必ずできると思っている。いつまでも独自の福祉像を創造し、己と格闘しながら魂を助長し、それが結果的に、福祉道へと繋がる。その繰り返しによって、道のかたわらに小さな花が咲き乱れる。これぞ、まさに描く福祉の姿なんだ。
だから、声を大にして言おう。「俺達は詐欺師なんかじゃない。福祉魂を世に広める伝承者である」ということを。
投稿日:2012/01/12 11:41:09