よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

H23.7 浜松デザインカレッジの学生さんへ

本日は、俺みたいなダメな大人の話を最後まで聞いてくれて有難うございました。偉そうなことを言ったかもしれないけれど、全て、自分が今まで生きて感じ取ったものを、そのままストレートに表現したに過ぎないから、お許しを頂きたいと思っています。
俺が君達の頃、大人が大嫌いだった。権力を振りかざし、銭金に溺れ、性欲の固まりのようなあいつらを常に敵視し続けていた。だから、大人への転換期、ちょうど君達の頃は本当に悩んだ。「高校を卒業後大学へ、そして就職。数年後に結婚でもして子供が二人。定年まで蟻のように働き続け、気がついたら死」。俺は、そんな人生は絶対に嫌だった。絶えられなかった。私利私欲に走り、都合のいい時だけ「平等・公平性」を持ち出す、大人も社会もメディアもくだらない、そう信じた結果、俺は孤立した。死というものも何度か考えたことがあったけど、そんな度胸もなく、音楽を言い訳に薬に溺れ、若いエネルギーをロックというツールで暴れることでしか表現できなかった。
あれから20年、俺は一体、何が変わったのだろうと自問自答している。あの頃の激しさは、今でも忘れてないし、そのエネルギーもあると信じている。でも、少なくても、周りの環境が変わったことは事実としてある。世の中も合理性を求めて進化している中で、艶やかだった華は枯れて地に落ち、雨水と太陽の光を得て、そして新たな芽が出てくる。尊敬する先生や先輩の死、愛する人との別れ。諸行無常とは、臆病な俺にとっては耐えられない現実の姿だった。
俺は介護の仕事なんてくだらないと思っている。福祉魂という心の支柱がない人間が、ビジネスというだけで人の世話をすることに恐怖すら感じるからだ。だからこそ、俺達はもっと福祉力・つまり情緒力を磨き上げる必要があると思う。でも、介護の現場は、出会い別れのある生活を繰り返すことで、人間の「弱さ」を肌で感じ取ることができる仕事に間違いない。散り逝く醜い姿を、同じ人間として最後まで看取ることのできる、有難い職業であることは事実だ。
俺は26歳の頃、ようやく人の為に生きる喜びを理解できるようになった。それは散々泣かせ続けてきた親の為、迷惑をかけた仲間の為、今までの過去を否定し続けた自分の為に、俺は介護の世界に没頭した。そこいらのハッタリ野郎とは訳が違う、私心をどこまで捨てられるか?無私とまでは言わなくても、保身的心情を極力抑え、弱者の為に奉仕する当たり前の行動、つまり福祉魂を追い求める必要があると考えた。そして、ようやく、まだ志半ばではあるけれど、歩き出す決意を固めた。
人間は強い人、弱い人は必ずいる。俺は当時の自分を振り返ると、明らかに弱かったと理解できる。でも、「若さ」とは、弱いけれど美しいではなく、弱いからこそ美しいものだと思う。開かれた人間関係、合理性を求める一方で、それに反する閉じられた人間関係、閉鎖的な場所をも必要としているように、人間は弱さを必要としている。「閉じこもっちゃいけない」「開かれてなければいけない」という根拠はどこにもなく、ある意味「閉じこもりたい」という感情は、ごく自然の姿だと思う。
だから、もしこの中で悩んでいる人がいたらならば、声を出して言いたい。いっぱい悩んで、いっぱい泣いて、いっぱい苦しんでくれ。そうした寄り道とか回り道というマイナスの体験は必ず必要だと思う。何も悩まずにターゲットに向かって一目散に進んで行くと、早く限界に行き詰る。友達とつかみ合いの喧嘩をしたり、失恋や片思いの経験をして、そうした後ろ向きの繰り返しこそ、物の哀れや美しいものに感動する力、他人の不幸を感じ取る力を養う情緒力に反映されると信じている。
「寒さに震えた者ほど、太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど、生命の尊さを知る」ホイットマン(アメリカの詩人)
先の東日本大震災では多くの方が犠牲となられた。一瞬にして多くの人の命を奪う自然の脅威に、人は成す術がなく、虚しさだけが残る。でも、自分の命を顧みずに人を助ける姿、怪我をしていても助け合いながら命を救おうとする姿に、当たり前の人間として儚くも尊い姿を見た気がする。他方、強盗や空き巣に入る人間もいたとの報道もあり、現代の置かれている日本人の無情、侘しさという病理的側面を見た気がする。
誰でも生きる為に、みんな一生懸命に頑張っている。そんな姿を、お互いが尊重し、認め合い、支え合う行動こそが福祉であり、それは「助ける」という特別な感情ではなく、当たり前の人間として自然に行うべきことだと思う。その意味で、俺達はもっと誠実に、もっと人間臭く、己の福祉魂を貫いていく必要があると思う。先の震災では大変な被害が出てしまったが、自然に助け合える姿を拝見し、まだまだ日本人の心には古き良き福祉魂が存在していると確信し、雲間から微かな光を見た気がしました。
俺は皆に偉そうなことを言える人間じゃないけど、最後にこれだけはわかって欲しい。今しかない「若さ」をエネルギーに、これから前に向かって欲しい。心配しなくてもいい。弱いのが当たり前なんだ。大人だって、そう悪い奴ばかりじゃない。話せば親身になって応えてくれる奴も必ずいる。だから、歩き出して欲しい。大丈夫。夢なんてそう簡単に見つかるもんじゃない。目標なんてコロコロ変わるものさ。だから、漠然とでいいから、「したい」ことをたくさん見つけて欲しい。何でもいい。「したい」ことの繰り返しによって、目標が生まれ、夢が生まれてくると思う。結果的に、それが君達一人ひとりの「らしさ」に繋がり、ファッションやライフスタイル、ビジネスやアイデンティティも形成されるものだと思っている。
ただ、「誰かがきっとわかってくれる」なんて、福祉的流暢語を言って成功した奴を俺は見たことがない。だから、先ずは己の殻を破れる力を蓄え、研鑽する努力を怠らないで欲しい。今は無限の可能性を求めて邁進してくれ。とにかく、何より大切なことは、人の痛みや苦しみを理解できる大人になることで、今はその一つの過程に過ぎないということを忘れないでもらいたい。大丈夫!お前達にはそれができる。根拠はないけどよ。
今日は、長い間、ご清聴有難うございました。また会える日を、心からでもないけど楽しみにしています。
投稿日:2011/07/22 22:07:30