よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

8月15日終戦記念日に思うこと。

本日、8月15日終戦記念日
俺は、今この平和があるのは、そうした地獄をかいくぐってきた先人達のおかげだと思っている。若くして散った英霊達を思うと、自然に涙が込み上げてくる。

うちに来ている91歳のお婆ちゃんは、戦争で夫を亡くした。まだ、幼い子供二人を残して。そこから、お婆ちゃんは20代という若さでありながら、女でひとつで2人の子供を育て上げた。

テレビを見ながら、みんなで黙とうを捧げた時、そのお婆ちゃんの目から涙がこぼれていた。手を合わせながら、天皇陛下の言葉の一門一句にうなずきながら、ただ涙を流していた。

俺は幾度か靖国神社に行き、日本人として当たり前のように、先人の英霊に感謝の念を自分なりに捧げてきた。隣の資料館では、日本人として戦争に負けた悔しさと、戦争に行くしか選択肢がない、運命に逆らうことができない命の切なさに涙を飲んできた。右翼と言われるかもしれないが、俺は今でもアメリカや中国、ソ連のしたことが許せない部分がある。

たしかに歴史は変えることはできないが、どんどん風化されてしまう戦争の恐怖というものを、俺達はこの時期に、日本人として考えなければならない使命を負っていると思う。

ともあれ、戦後65年の歳月が過ぎた。グローバル化の波の元、時代は光のように激しく駆け巡り、人間は常に情報に左右され、世界レベルでの人間的生き方が当たり前になってきた。政治も経済も、野球もサッカーも、すべて自国でやるだけの時代ではなく、もはや世界が相手になってきている。

まぁ、それは世の中の流れであるからいいと思うし、むしろそうでなければ困る部分もある。でも、俺はなんとなく、なんとなくだけど、日本人として大切な何かを失っていくような気がしてならないんだ。日本企業の共通語を英語にする会社も出てきたり、中国人が日本の土地や建物を買いあさり、それを役所は手招きにして大喜びしている光景が、どうも俺には納得できないんだ。

俺は、日本人が日本を代表して世界と闘う姿なら応援もできる。ただ、現代は、心は我が祖国にあらず、グローバルスタンダードの名のもとに、そうした祖国を愛する思いが薄くなってきたように思えてしかたない。何処かの団体は、日の丸、国歌斉唱するなと言っているみたいだが、俺は、そんな現実を、若くして日本の為に散った英霊達は、一体どう思っているのだろうか。政治家もマスコミも、靖国神社に参る参らないというくだらないことばかり、いつまでもアジアにペコペコ謝り続け、先の展望が見えてこないだらしなさ。本当に、この時期になると、俺は大和魂が蘇り、怒りに震えることがよくあるんだ。

俺は昔から落ちこぼれだった。でも、そうした戦争という地獄を潜り抜けた先人達の「大和魂」は、常に忘れることはなかった。外国人が嫌いなわけじゃない。ただ、日本人としてのプライドが失われつつあるのが本当に怖いんだ。アメリカや中国が台頭している現代において、俺達は今こそ、そうしたプライド「大和魂」を忘れてはいけないような気がするんだ。あいつらにはわかるはずもない。すべてを捨ててまで、愛する人のために命を捧げるという生き方を。たとえ自分の意にそぐわなくても、その命にすべてを捧げるという男気を。あいつらにわかるはずがないのさ。だって、それは戦争で亡くなられた方々が、命を張って守ってくれた、ここは日本であるからなんだ。

日本に英語の教育が益々盛んになり、最近はデパートや役所にも中国語の文字が多くなってきた。富士の周辺のリゾート地なんて、中国の金持ち共が買いあさっているみたいだ。日本のバブルの時と同じと語る奴がいるが、それを黙ってみていることが俺には納得できないんだ。役人も経済効果ばかり目を向いてしまい、大事な日本人の生活の安定という足元を見ようとしない。

そんな俺の強い情動は、きっと戦争で亡くなった方々の思いと同じのような気がするんだ。「本当にこのままでいいのかよ」「こんな日本の為に俺達は命を捧げたのかよ」そんな声が聞こえて来るような気がしてならない。

まぁ、俺も古臭い昭和の人間だから、これかの時代には生きていけんわね。でも、いいのさ。いつか誰かがわかってくれると信じているからよ。この古臭い日本人としてプライドを守ることがどれだけ大事なのかっていうことを。

「身はたとい、武蔵の野辺に朽ちぬとも、とどめおかまし、大和魂」吉田松陰

投稿日:2010/08/17 23:40:44