よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

業としての介護なんてクソぐれえだ!

俺達スタッフはみんな休憩というものがない。それは、休むなら年寄りと一緒に休めというスタンスだからだ。介護において、「はい、じゃ仕事始め」「はい、お疲れ様」という仕事として利用者に接するほど、失礼なものはないと信じている。むしろ、今のくだらない介護業界は、そんな当たり前なことすら理解できてないほど、体たらくしているのが現状なんだ。

俺達は、利用者とスタッフの垣根をどう壊そうか日々努力している。もちろん、休憩に関することだってそうだ。誕生会だって、年寄りだけじゃなく、我々も祝ってもらう。サービスとして介護を提供することはやむを得ないにせよ、この一時の間は、それぞれが役割を持ち、必ず何か仕事をやってもらうように努めている。それが、結果的にお互い様の心を育む手段であると思っているからだ。

年寄りと一緒に宿泊する時だってある。もちろん、宿泊費用なんて一銭ももらってない。すべてボランティアだ。今度の夏は、ある男性利用者と、俺は約2週間、寝食を共にしなければいけない状態になってしまった。それは、そうしなければ、その利用者はどこかのグループホームか施設へ、永遠に入所が決定してしまうからなんだ。そんな一時のおせっかいでどうなるわけでもないけど、俺は居ても立ってもいられないんだ。

先日は、ある認知症の女性と二人で泊まった。徘徊もあるし、不穏にもなる、俺は一睡もできなかったが、その人と温かいコミュニケーションが取れるように努力した。たしかに、身体だってキツイ。正直、お金だって請求したい。でも、俺は、福祉をここで実現することが目的であり、それは自己犠牲をも伴うものだと認識している。決して、介護ビジネスをここでやろうとするのが目的でなく、あくまで昼間のやっていることは手段に過ぎない。

介護がビジネス化した昨今、本当にこのままでいいのか?たしかに生活していくために、最低限の割り切りは必要だと思う。でも、俺達介護従事者自信が、今こそ奉仕の精神の元、共に助けあっていきていこうとう姿勢を率先して示す必要があると思うんだ。時間で区切られた愛想笑いなんで、絶対に利用者には通用しないはずだ。そこには、介護サービスという枠を超え、お互い熱い人間同士という信頼関係が根本になければならないということだ。

先日、こうした俺のやり方に不満をもったパートさんが一人退職した。「なぜ、休憩が取れないのですか?」たしかに、当たり前のことかもれん。別に俺は休憩を取るなとは言ってないんだ。用事があるなら済ませてもいいし、どこかで寝ていてもいい。でも、俺達は、限られた時間の中で、お互いがいかに自然で当たり前のように助けあう空間を目指しているのに、そんな業として頭から捉えられていたことが残念で仕方なかった。「じゃ、お前は利用者と共にボランティアで一日面倒が見れるか?」その質問をぶつけてみたが、返答はなかった。

なぜ、どいつもこいつも介護ビジネスなんだ?介護福祉士や社会福祉士、ケアマネがなんぼのもんだ?資格があれば介護の専門職と本当に言えるのか?俺は、そんな肩書なんてクソぐれえだと思っているよ。それより、業という立場を超え、困ったら自然に手が伸びるような人間性を高めなきゃいけないんだよ。そして、そうした行動を、これからの若い世代に伝えることこそ、「介護の質」を高めるものだと思うんだ。

でも、俺はいつもそうなんだ。自分のソレと世間のソレが、いつもどこかで食い違っているんだ。だから、一人寂しく落ち込むこともあれば、悩み苦しむこともある。だから、俺はいつまでも言うよ。「今の介護業界は本当にくだらない」ってね。

大切な何かを、見失っていんだぜ。誰もわかってくれないけどよ、俺はこれからもそれを主張し続けるよ。勘違いした馬鹿野郎どもに向かってな!
投稿日:2010/07/06 14:13:03