よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

人の為か偽りか!

俺は昔から落ちこぼれだった。でも、そんな馬鹿な自分をここまで立ち直らせてくれたのも、出会い別れていったお年寄りや、難病や障害で苦しむ多くの方々だった。

だから、俺は自分のすべてを賭けて、「人の為に生きる」ことを決心した。こんな価値のない男が、せめて命ある限り、恩返しをしなければいけないと思ったんだ。

憩の家を始める時、数千万の借金をして、中古住宅を購入した。お袋に電話して、「俺、家買うよ」「何?あんた結婚でもするのかい?」

「いや、ここで真の福祉を目指す!」

「・・・、あんたはどこまで親に心配をかけさせるの!」と怒鳴られた。

でも、猪の俺は決めたら人の意見も聞かない、ただ突っ走るのみ、すぐにそれを実行した。かなりの決意は必要だったが、そうまでしないと、現在の「利益型福祉」は変えられないと思ったんだ。自らが犠牲となり、自らの福祉を創造することが唯一の手段だと信じていた。


「人の為」と書いて、「偽」と読む。
もしかして、俺が熱く語っている「人の為に生きる」というのは、偽り、嘘なのだろうか?

それでも俺は、神様じゃないから、自分のすべてを犠牲にしてまで、他人の為に尽くそうとは思っちゃいない。自分に甘くて、自分が一番大好きで、究極の自己満足主義者だ。でも、人の為に生きるなら、まず、己が生きなきゃそれもできない。自分があって他人があるのだ。
その意味で、人の為とは偽りなのかもしれない。

でも、そのことで「偽」と呼んでしまうことはあまりに虚しすぎる。偽りと罵られようと、俺は相手を信じ、思いやる気持ちがあるのは、まぎれもない事実だ。多くの福祉職員も同じ思いであろう。まぁ、俺の場合は、人と違い、育った環境のせいか、些細なことで自己満足するから簡単だ。ビールとつまみがあれば何も文句は言わん。少しの酒で、自身の満足領域は補え、「さぁ、次は人の為に生きよう」と切り替えることができる。

なんか、寂しい男だなぁ・・。

人の為に生きることが、偽りと思う人は、ある意味、寂しいことかもしれない。今まで人を信じられずに、生きてきたことを証するようなものだ。

俺は福祉の世界に入ってから、多くの障害者や高齢者の方々と出会って、人の信頼関係がいかに重要かを学んだ。心が閉じられた状態の中で、いかにその解決の糸口を見つけられるか、扉を開いてくれるか。その為に必要なものは、信頼関係だ。それには、まずこちら側がトコトン信じるしかない。裏切られても、嘘をつかれても、信じてやらなければ心も開かない。

そうしたことの繰り返しから、少しずつ利用者の満足という成果に表れて、自分も沢山のものを得ることができ、結果的に、自然にそれが「人の為」になっていくものだと思う。

最初は、自分の為でいい。俺は、自分がもっとカッコよくなりたいからこそ、人の為に一生懸命に生きようとしている。人は絶対に一人では生きられない。だから信じあえるし、愛し合えるんだと思う。そして、傷つき、後悔を生み、また、喜びと感動が得られる。

そんな経験から学び、明日の道へと繋がっていくものだ。

俺は若い衆に伝えたい。いつか、恋人か、家族か、または己の為かわからないが、「役に立ちたい」と思う時が必ず来る。自分を信じ、他人を信じる中で、きっと「人生の道」が切り開けるはずだ。そこには嘘や偽りなんかじゃない、己の真実がそこにはあるということだ。

そういえば、昔、彼女に「このウソつき!」って叩かれたこともあったな・・。

投稿日:2008/09/01 19:25:18