よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

介護保険が始まって10年。希薄した家族愛。

介護保険制度が始まった10年。俺はこの制度の最大の欠点は、当たり前の家族愛を欠落したことにあると思っている。
俺の東京にいる知り合いで、介護度がついている58歳の認知症のオジサンがいる。でも、特に問題行動はない。食事も用意すれば1人で食べれるし、トイレもお風呂も自分でやれる。息子夫婦と同居しているが、嫁は専業主婦で特に問題なく生活している。息子はサラリーマンだが、今度、初めての赤ちゃんが生まれることになった。その人からすれば初孫だ。先々のことを心配した息子夫婦は、家族が一人増えることに困ったのか「すぐ施設へ入所させよう」と、ケアマネに相談した。まだ、全然元気だし、初孫だし、一緒に住みたいだろう。でも、その夫婦は結局グループホームへの入所を決めた。俺は、その話しを聞き、現代の家族愛のなさというより、介護保険の病理的側面が見えたと思っている。
今まで特に問題なく生活されている人が、たった一つのきっかけで、「じゃぁ、施設へ」という判断が簡単にできることに恐怖を覚える。昔は三世代同居が当たり前で、親は子がみるのが当たり前だった。でも、時代が変わり、社会がかわり、それが出来なくなってしまった。それはたしかに理解できる。でも、大前提として「親は子が看る」ということが、介護保険が始まったおかげで確実に薄れていったということだ。「あんたらはサービス業でしょ?やって当たり前でしょ?」、そんな家族が現実に多いということだ。つまり、介護保険の最大の欠点は、介護をサービス化したことで、当たり前の家族愛を欠落したこと。
家族は、「選択できる権利を得たと同時に、放棄できる権利」も得てしまったということなのだ。急速に広がりすぎた介護保険は、そのスピードに付いていけないほど、高齢者自身の自立意識を低下させ、家族の介護力も低下させてしまった。このおかげで、介護のすべてが完全にサービス化してしまい、家族介護の力や地域で支え合う互助力を確実に低下させ、本来、最終的に使うべき介護保険という公助が、安易に手が届く存在になってしまったということなんだ。
待機高齢者の問題がこれからも増えることは間違いなく、その対策はたしかに必要なことだろう。でも、その必要性をもっと個別に細かく判断していけば、もっと膨れ上がる介護保険料を抑えることもできる、必要のない事業所を増やすこともなくなるわけだ。介護を放棄した家族の受け皿が介護保険という制度なら、なるべくそのようにならないように、家族介護力を増やすことに、もっとお金を費やすべきだと俺は思う。
これからの政治も介護を社会問題としてとらえ、人や物、金の整備をますます加速することだろう。でも、本来ならば、家族愛を助長し、それを補完する最終的な存在が介護保険でなければならない。本来、福祉サービスそのものがなくなることが、この世の中にとっては素晴らしいことなのだということを気付く必要があると思います。
介護保険が始まって10年、今後ますます制度自体が大きな存在になることは間違いないだろう。専門性が叫ばれ、点数化した介護で評価され、俺達は、当たり前の人間として当たり前の何かを失ってしまったような気がしている。介護の基本は家族愛であり、これまでの介護保険制度では、確実にそこが低下してしまうと、心より危惧している。

投稿日:2010/05/01 14:44:16