よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

介護報酬を下げ、介護の質を上げよ!

俺は、今の政治もマスコミも含めて、日本の介護問題を「人・物・金」に集中していることが残念で仕方ない。確かに、現実的な問題も理解できるが、介護そのものの本質を、介護保険の病理的側面を、やっぱり多くの方に知ってもらう必要があると思う。
  これから高齢者が増え、介護保険料は明らかに上がる。つい膨れ上がる財源ばかりに、眼がいってしまうが、その使われ方は本当に正しいのかを検証するべきだと思う。
たとえば、デイサービスでは一日預かって、事業所に入るお金は、自己負担含めて1万円前後。要介護度5の人で、日中預かるだけで1万5千円近くもらうことができる。ショートステイでは3、4万位の収入が入る。たしかに介護度によって多少誤差はあるが、果たして、それに見合ったサービスを本当にしているのか疑問だ。1日の決まりきった介護メニュー(送迎、排泄、入浴、食事)を提供して1万円の収入。そんな人が10人いれば日中だけで10万円以上。小さな町工場やお弁当屋が、1日に10万円売り上げるのに、どれだけ大変な思いをしていることだろう。また、1泊4食付きのホテルに泊まるとしたら、3、4万位出せば結構高級ホテルに泊まれることだろう。
原材料がかかるわけでもない、支払が滞ることもない、ある意味、安全かつリスクの低いこの事業に、かつうま味のある事業に、利益を求めて参入する馬鹿野郎がどんどん増え続けている現実的な問題がある。
また、最近のデイサービスは、同時に宿泊できる体制を整備し、宿泊費を徴収し、毎日自分のデイサービスに送迎もせずに報酬を得ている。ショートでもない、夜勤の体制も定かではない施設が、利用者から自費分を徴収し、必要のないサービスを過剰に提供し、役所もそれを黙認していることが問題だ。
俺は疑問で仕方がない。本当に今の介護報酬は正当な額なのか。俺は、現場職員の代表として、もっと介護報酬を下げるべきであると思っている。それが無理なら、そうしたルールに反するやり方を許してはいけない。確実に第一線で働く現場のやつらにそのお金が届くようにしなければならない。そうしなければ、福祉の本質を理解していない事業所でも、膨大な財力と、資格という名ばかりの専門性だけで、誰でも簡単に「介護ビジネス」に参入することが可能になってしまい、「お年寄りの為」という大義名分の裏には、私腹を肥やそうと考える人間がどんどん増え続けているという大きな問題がある。
俺は、今の世の中の流れに乗じて、様々な介護業界が、「介護報酬増額」「給料の改善」など主張しているが、結局は自分達のことしか考えてない、利益主導型の介護になったという点が大きな問題だと思う。
今の政治も、「物から人へ」という綺麗なキャッチフレーズのもと、介護業界に手厚くしているのが現状だ。「介護職員処遇改善交付金」というものが配られていることも、一般の方々は全く知らないだろう。報告義務はあるものの、安易な書類だけの提出で済まされるいかにも役人らしい処理方式で、微々たるお金を介護職員へバラマキのような一時金を支払うこの制度は、俺は決して無駄とは言わないが、永続性が全くない無能な施策だと思っている。
そして、施設から在宅へという介護保険始まる前の方針が、この10年で、在宅から小規模施設へという、逆戻りだということ。そこに新たなお金が使われている矛盾が多くある。今、地方自治体は、10年前とは逆に、施設をどんどん作り、雇用を守りましょう、そこに税金を投入しましょうと、逆戻りしているように思える。特に、今の社会福祉法人は、様々な優遇を得ていながら、どんどん事業を拡大している現実があるのだ。福祉法人も医療法人も、社会的役割は二の次で、公益性は二の次で、己の私腹を肥やす努力ばかりしていることが残念でならない。
また、今のくだらない政治家共も、介護職員をこの雇用の受け皿にしたいという安易な考えが、ますます介護の価値や質を下げている現実がある。派遣切りなどの社会的な問題もあり、資格取得支援や新規雇用事業所への支援など、たくさんの税金が介護事業所に投入されている事実も、多くの国民は知らないだろう。でも、介護職業が定着しないのは、何よりも「業として介護を学ぶ」ことが先行し、介護の基礎、魅力を教えてくれている人がいない点だ。高齢者も増え、事業所もビジネスチャンスとして考え、政治も雇用の受け皿と推し進め、そうした社会のスピードに、介護職員として当然に持つべきメンタル面が、人の世話をするという大事な心がついていけてないのが現実なのだ。
また、介護がサービス化したおかげで、技術や資格、専門性ばかりが問われ始め、本来、誰もが家族で介護をしていた「当たり前のこと」ができなくなった。俺は、介護の専門性なんて、人生の奥行きも測ることができない、とても薄っぺらいものだと思っている。たしかに、それを業としている者にとって、必要なものかもしれないが、それが先行することで、介護の基礎、人を思う熱い心は、確実に薄れていったと思っている。資格があれば専門であるという誤った認識に、多くの介護人員が困惑しているのが現状なのだろう。
介護という仕事は、たしかに技術も大事かもしれない。でも、それ以前に、その人を愛して、尽くして、寄り添いながら限られた時間を共に過ごす情熱が大事であり、その本質を社会が見抜けていないというのが問題なのだ。たしかに綺麗事かもしれないが、職という以前に、そうした暑苦しい程の情熱があり、結果的に後から、お金はついてくるものだと思う。雇用を守ることは大事だが、介護の本質を教える前に、業として学ぶこと自体を社会が推し進めることは、結果的に、いつまで経っても介護職の質が上がらない原因だと思う。
俺は、よく現代の介護問題について話をするが、介護保険が始まり「資格の為に学ぶ人が多くなった。お金の為に働く人が多くなった」と言う。それが、介護保険制度の大きな病理的側面だと思っている。だから、俺は「資格より品格、専門性より人間性」が大事であると伝えている。介護という仕事は、サービスという枠で縛ることができない、老いの現実と闘う方々の最大の理解者であり、そこには、自分を省みず人の為に尽くす姿勢、人を愛する奥深い人間性が大事だと思う。
介護報酬も、「介護福祉士がいれば何パーセント上乗せする」など、いかにも役人らしい縦割りのやり方になっている。サービスが点数化され、一つの事柄で加算をつけて、本来は当たり前に行うべきことが、すべて文字化され、システム化されてしまった現状もある。
「ろうそくは身を減らして人を照らす」という言葉があるが、そうした奉仕の精神が、介護職員にとっては重要であり、その価値を高めることが、聖職という介護の質を高めていくものだと思う。マスコミも含め、本来、そこを注目されるべきものだと思う。介護の魅力は、お金を得る為の業としてではない、身を粉にしてでも、困っている人を救い出す、正義のヒーローでなければならないと俺は信じている。
俺たちは、微力ながら、通所介護を運営しながらも、得た収益を多くのボランティア活動の為に活用している。社会福祉法人も医療法人も、社会的役割を認識することなく、税制上の優遇を受け、寄付をもらい、営利活動をしているのが現実だが、俺達は、そういう団体とは違う形で、自分達の福祉活動を模索している。本来、介護事業所が、率先してボランティア活動を行うべきであるし、地域における相互扶助の必要性を、自ら訴えるべき責任があると思っている。
たとえ「時代遅れ」と罵られようが、俺は貫いていくよ・・。
投稿日:2010/05/01 14:43:28