よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

命のバトンの大切さ

先日、俺は「福祉道」の出版を通じて、あるALSでお亡くなられたご遺族の方と知り合うことができた。その方からは、様々なご寄附を頂戴したが、その中に、同じ難病と闘う人のために作られた勉強会に関する資料があり、俺はその文章を読んで心打たれた。

ALSという難病と闘ったご主人、苦しみ、苛立ち、運命との勝負に挑んだ男の力強さ、そして、それを支える奥様を中心とした家族愛に、とても感銘を受けた。ご主人は、「人口呼吸器をつけない」、つまり死を選んだが、奥様は「呼吸器をつけてほしい」とお願いした。そうした家族間の葛藤が、どんなに長く、苦しいものであっただろうか。

結局、ご主人は「最後まで俺らしく生きたい。身体が動かなくなってまで生きたくない」と、命という最後の権利を全うし、この世を去った。そして、そうした現実と共に戦ぬき、自分の感情を押し殺してまで、愛する家族として看取った奥様。

俺は、ご主人の病に対する力強さ、潔さ、命を燃やそうとするその姿に、心から敬意を表すると同時に、亡きあとも続いてきた奥様の苦しみ、孤独、絶望、そして、長く辛いトンネルをようやく抜け出し、新たな希望に結びつけるようになったその姿に、ただただ感動するばかりだ。

命だけはその人にとって絶対的な権利であり、その権利が絶たれた時、本人や家族の苦悩は計り知れないものだろう。その人にとって、絶たれる命が、真白に燃え上がる炎のように充実するものであるならば、それは幸せなことかもしれない。しかし、多くの方は悩み、苦しみを繰り返しながら、やむを得ず事実を受容し、永遠の過去へと時が流れていくものだろう。命という時に終焉が訪れ、残された家族が残りの命を続いていく。

「命のバトン」。そんな熱く輝く美しいものであると同時に、冷たく辛く寂しいものであるのだ。俺はそんな時の流れに、世の無常を強く感じる。

ただ、俺はそんな苦しんでいる方に、少しでもいいから力になりたい。病と闘う戦士と、それを応援する戦士に、俺は後ろからエールを送ってあげたい。つまり、「生きる勇気」を与えることが、「福祉」そのものであり、俺達はそれを実現する使命があるのだ。

残されたご遺族、奥様は長いトンネルを抜け出し、ようやく新たな夢に旅立つ決意を固めた。そこまでに至る経緯は、本当につらいものであっただろう。いや、これからもそれは付きまとうものかもしれない。でも、奥様は、「ご主人から与えられた『命のバトン』を大切にしよう」と決意し、また道を歩き始めた。

その生ある素晴らしさに、俺は一人の人間として感銘を受け、この身ある限り応援をしていきたい。福祉とは、命の素晴らしさを学ぶこと、苦しみを共感すること、生きる希望を与えることであると認識している。その意味で、ALSという病と戦ったご主人、奥様、ご遺族様に、俺は大切な何かを学ぶことができた。

投稿日:2009/10/05 13:03:20