よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

外国人看護・介護労働者受け入れの恥!

一八五三年、黒船が来航し、日本は開国への道を歩み出した。そして、尊皇攘夷の下で、多くの志士の血が流れた。

あれから一五〇年以上も経ち、時代はグローバル化による人・物・金・情報の移動がますます活発になり、東南アジアとの経済連携協定(EPA)の締結により、外国人の看護師・介護士が日本の医療・福祉で働くために動き出した。

俺はテレビで東南アジアの代表と笑顔で握手する当時の小泉純一郎元首相を見て、大老、井伊直弼が日米修好通商条約を締結し、憤慨した吉田松陰を思い出し、それに似たような怒りがこみ上げ、抑えられない情動にかられた。日本人として守らなければならない物が、また一つ、また一つと失われつつあるにも関わらず、笑顔を振りまくくだらない政治家が許せなかった。

役人は自由貿易促進の原則から推し進められたもので、看護・介護の労働者不足を解消する為に外国人を受け入れるという立場をとってはないが、魂胆が丸わかりで言い訳にすぎない。そこらのフィリピンパブなんて、とっくの昔からEPAをやってるわ。ましてや、看護・介護という人材が不足している所に、日本人が嫌がる仕事に、外国から人を連れてきて働かせるなんて、いかにも役人らしい安易な考えで、言葉は悪いが外国人を奴隷のように扱っているとしか思えない。

これは日本にとって恥さらしの何物でもない、相互扶助の限界を世間に示したものだ。

日本よりも貧しい国の人々の中から、特別に選ばれた優秀な人材だけを絞り込み、言葉を学び、技術を学び、この国の一員として働き始める。なんか、満州国建設の為に、強制的に日本文化を教育させたあの頃を思い出させるかのような光景だった。これがアメリカ人やイギリス人であれば、また感情も違うだろうがな。

 俺は攘夷論者じゃないから、別に外国人の看護・介護員がいることが許せないわけではない。むしろ、現状の自己主張ばかりの日本人介護員より、よっぽど素直で、真剣に働いてくれると思っている。それに、背に腹は帰られない施設経営者の立場も理解できる。だから、働くことがいいとか悪いとかじゃなく、これを大々的に公に実施したことで、看護・介護、とりわけ介護職に対する価値を暴落させ、日本人としての魂、プライドまで安売りしたことが許せない。

介護は召使じゃないんだ。金持ちが貧乏人を雇って、身の回りの世話をさせて余生をのんびり暮らすという安易なもんじゃない。経済協力という名の下に、やっていることは日本人のモラルの欠けられもない、政府主導の人材派遣業に過ぎない。日本の共存共栄意識なんて、グローバルスタンダードを主張する一方で、自国の年寄りの面倒も看れない薄っぺらいものであることを証明してしまった。

しかし、現実問題として、それを受け入れざるを得ない年寄りの心中を思うと、俺は日本人の一人の子として、先人に対して申し訳ない思いで胸が張り裂けそうだ。
「おい、日本人っていつからそんなに冷たくなったんだ?人生の先輩を敬い、送り出すことは、日本人の常識じゃなかったのか?それまで外人に頼んで、恥ずかしくないのか?日本人のプライドは、一体何処まで外国に安売りすれば気が済むんだ?」

看護・介護の人手不足の問題も、役人が無策によりもたらされた結果に過ぎず、そして今回の外国人労働者の受け入れは、役人の無策を更に輪をかけた日本全体の恥となってしまった。公の尻拭いをするのはいつも民の力ではあるが、それでも笑顔で受け入れるこの国の風土を疑いたくなる。

黒船来航から一五〇年が過ぎ、開国のお蔭で西洋文化がもたらされ、豊かな日本を構築していけたのは事実かもしれない。しかし、グローバル化の波のもと、一度失った日本人のプライドというのは、もう元には戻らないかもしれない。

このことを、地下の吉田松陰はどう思っているのだろうか。
投稿日:2009/07/05 13:19:21