よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

下から見ることが大事!

若い頃、よく上野駅の地下道で、ホームレスの人達と酒を酌み交わすことがあった。もちろん最初は面白半分もあったが、そんな人達も、どこかに魅力があったんだ。

臭い服に身をまとい、人の捨てた煙草を美味しそうに吸う。虫歯だか知らないが、歯が抜けている人も多く、常に酒に溺れてろれつが回ってない人もいた。なんか異様な感じだったけど、そこにはそれぞれの人生観があり、挫折や苦悩があり、何より自由があったと思う。

仕事に家に時間に追われて過ごすサラリーマンをよそに、俺達は地べたに座り、段ボールの上で拾ったお菓子をつまみに、ワンカップの酒を一滴も残さず、大事そうに飲んだ。

でも、忘れられないことがある。通る人、通る人のあの見下したような眼。「人間のクズだ」「負け組だ」と言わんばかりの冷たい眼、これは絶対に忘れない。

俺は昔から偉そうにしている奴が好きじゃない。貧乏人だから金持ちも好きじゃない。もちろんひがみ根性も否定はしないが、権力者を見ると反発したくなるパンクロックの精神が染みついている。

人は集団となり、団結することで、固有の権力を勝ち得ることがある。でも、一度、その集団からはずれると、どっぷり浸かった個人は身も心もズタズタに切り刻まれる。「個人の尊厳」なんて、福祉的流暢語なんて言っていられない。

それが結果的に、勝ち組、負け組というくだらない造語を作り出し、昨今話題になっている「格差」というものを生み出した。

まさに、「浮世の苦楽は一重」だ。

柔道も剣道も、たとえ勝っても相手に対する「礼」を忘れない。それが日本の伝統文化だった。それが、賢い政治家どもが考えた、グローバル社会、競争社会というものによってもたらされた犠牲者であると言っていい。

でも、たとえどんな状況下にあろうとも、上から見下すような人間は嫌いだし、その意味で、俺は常に弱い人の味方でありたいと思っている。

ただ、そんなホームレスの人達と過ごした時間は、俺が経験してきた日本の競争社会とは全く別の世界であり、目線の位置、もしくは自分だけが持っている心の「ものさし」の価値についても、とてもいい勉強になっている。一度、そんな集団からはずれてみると、色々なものが見えて、新しい発見ができるものだ。

何でもそうだろう、物事を下から見ると、色々な新しいものが発見できる。100円が落ちているかもしれない、小さな虫がいるかもしれない、辛い思いを共感できるかもしれない。

下から見ることは、その「気づき」が得られることだと思う。

福祉に携わる人間は、色々な人生経験を積んだ方がいい。こちら側だけでなく、あちら側へ。いじめっ子も、いじめられっ子へ。成功から失敗へ。栄光から挫折へ。そうした繰り返しが、自分を客観的に評価できる援助者としての資質を養い、初めて弱者に対する適切な助言というものが可能になっていくものだろう。

だから、俺はいろんな人から見下されても、いつまでも下っ端でいいのさ。だからこそ、福祉なんだ。
そう、いい聞かせて36歳にもなる、寂しい男である。
投稿日:2008/09/01 19:24:45