よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

親孝行したい時には要介護!

「親孝行したい時には親はなし」
これは、自分が年老いて、親の気持ちがわかるようになり、大切にしようと思った時は、すでに親は亡くなってしまい、この世にはいないことが多いという意味である。

俺は親不孝者だったから、この言葉はとても心に残る。後悔しないためにも、最大限、親に恩返しすることは大事だと思う。

仕事柄、俺は色々な親子像を見てきた。もちろん、様々な家庭環境があり、親子像もそれぞれ違い、また、時の流れとともに、良くもなったり悪くもなったりするものだ。裕福な家庭も、貧しい家庭も、それぞれの親の立場と子の立場があった。

介護は心身ともに辛いものだ。だから「介護保険」が制度化されて、サービスを利用することで介護の負担を軽減する目的があった。あくまで在宅生活を継続することが目的であり、我々はその応援団の一員に過ぎない。介護されることも辛いだろうが、やっぱり大変なのは、介護をする家族、子供の方だと思う。

寝たきりや車いすの生活となった親も、当然、今まで通りの活動ができず、行動範囲が狭くなれば、その分、心の余裕もなくなる。同居している家族だって、仕事や子育てで疲れて、親の面倒まで見ろというのは大変なものがある。お互いのキャパシティー(包容力)には限界があるものだから、同居家族の親子は喧嘩が絶えないものだ。

「昔は3世代同居が当たり前で、子が親の面倒をみるのが当たり前だ」という人がいる。たしかに、昔はそうかもしれないが、昔と今の高齢者像も変わっている。昔は「選ぶ」ことができなかった。だから、我慢もしていただろう。選択肢がなければ、どうすることもできずに諦めがつく。でも、今の高齢者は、テレビや新聞などの情報を通じて考える余裕がある、だから「選ぶ」ことができるようになった。そうなれば、次第に主義主張も当然強く、思うようにならなければ揉める原因ともなる。

「老いては子に従え」というのは昔の話で、「老いてますます壮なるべし」が、今の超高齢社会の現状だと思う。

「身体動かず、口だけ動く、介護する人、される人」by 石津

要介護になったらやっぱり寂しいんだ。家族にも煙たがられて、ろくな愛情なんて注いでもらえない。愛し合った妻も、何十年も一緒いれば、嫌になるよ。だからこそ、つまらないデイサービスみたいな所が、楽しいと勘違いしてしまうのだろう。

自分の子供か、孫と同じ年位の人達に、サービスとはいえ、とても優しくしてもらえる。歌を唄ったり、ゲームをしたり、お風呂にはいったり、「欲していた愛情」をそこに求めてくるから、必要としないデイサービスが異常に増えていったと思っている。

でも、これは制度として、「選択」できるものだから、それで問題が解決するのであればいいと思う。子供だって、毎日顔を合わせて愚痴を聞かされればいやになるだろう。

だから、時代と共に親子像は希薄なものに変化していったのだ。介護保険サービスが出来て便利になった反面、それを一方では、「選択」できる。もう一方は「放棄」できるようになってしまった。「我慢」と「責任」がそれぞれ無くなりつつあることが、この介護保険制度の病理的側面だと思っている。

だから、若い連中に言いたい。やっぱり、親孝行をしたい時は、元気なうちにしなさい。寝たきりになったら、そんな愛情、どっかに飛んじゃうぞ。

親孝行したい時には要介護。それじゃ、もう、遅いんだよ。

ましてや自分の親が認知症になったらさらに大変なことだ。ある認知症を抱えている息子さんが俺に話してくれた。

「先日、オヤジが、『群馬に行きたい』って言うのよ。昔、働いていたことあったから、記憶が戻ったのかと思ってすごい嬉しかったのよ。だから、急いで車を飛ばしてそこへ連れて行ってあげたんだ。行った時はよかったけど、自宅に戻ってきたら、どこに行ったか忘れているんだ。本当に虚しくなるよ。」

それが、現実の話だろう。やがて、家族の顔も名前も忘れていくものだ。

親孝行なんて限りなんてありゃしない。それが子としての常識だ。親から受けた愛情を、子として恩返しすること。そして、自分が親になった時に、我が子に同じことをして、返してもらえばいいと思う。そうして、何処の世も、親子の絆が深まっていたのだろう。

ただ、現在の高齢者介護の実態は、自己主張と介護負担の対立が表面化しており、大切な「絆」が薄くなりつつあるというのが現実なんだ。

だから、介護が必要になる前に、親孝行しなければ駄目だ。どこかへ連れていきたくても、連れて行けなくなる。動けるうちにたくさん連れて行ってあげてほしい。ボケてから色々連れていっても遅い。覚えているうちに連れて行ってあげてくれ。そして、写真や思い出をたくさん残してあげてほしい。

もし、自分の親が要介護状態になったら、その写真を見せてあげてくれ。「ここは楽しかったね。また元気になって、一緒に行こうね」って言ってあげてくれ。認知症になっても、その証拠を見せてあげてくれ。そして、覚えてなかろうが、忘れようが、その楽しい思い出話をたくさんしてあげてくれ。

それが明らかに無理とわかっていてもいいんだ。「また、一緒に行こうね」って言ってあげる愛情の言葉こそ、生きる望みに変わっていくもので、希薄となった親子の絆を深めるものだと思う。

人間は思い出の中では生きられないだろう。でも、思い出が生きる希望に変わることもあり得ると信じている。

だから、親が元気なうちにたくさんの思い出を作り上げて欲しい。そして、証拠をたくさん残して欲しい。もし、要介護になったら、俺達がサポートするから、何も心配する必要はない。親孝行の変わりは、俺達でもできる、今はそんな時代なんだ。

若い連中よ。親孝行したい時には要介護。肝に銘じておけよ。

何?俺?俺はいいの。分家だから・・・・って、なんじゃそりゃ。
投稿日:2009/04/27 18:57:53