よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

お祭り男のクニちゃん!

クニちゃんは、88歳、脳梗塞で麻痺があり、発語もはっきりと話せず、車椅子生活だった。俺が26歳、この業界に入って間もないころ、クニちゃんと出会った。奥飛騨慕情の歌が大好きで、人情味があって、昔は大暴れしていたカッコイイ爺ちゃんだ。

ある時、クニちゃんの地元で祭りがあることを知った。当然、お祭り好きなクニちゃんは出たくて仕方ない。でも、身体が不自由で、もう何十年も参加していない。もちろん歳も歳だし、参加してどうなることでもないのもわかっていた。でも、俺は、自然に、「一緒に祭り行こう」と言ってしまった。

そんなこと施設長に話をしたら、絶対にダメと言われるに決まっている。だから、俺は、「石津個人」として、クニちゃんを祭りに連れていくことにした。デイサービスの利用者と職員との関係ではなく、名目上は個人的に連れていくことにした。もちろん、家族も大喜びで賛成してくださった。

車いすを押しながら、祭に参加。いろんな人から「クニちゃん。クニちゃん」「元気だったか〜い?」「昔は元気だったのにこんなになっちまって〜」、色々な人が代わる代わる声をかけてくれ、クニちゃんの目は真っ赤になっていた。また、気分がいいのか、久しぶりにビールを飲みたいと言ったので、一緒に祭りの雰囲気を感じながら美味しくビールを飲んだ。もちろん、俺はそのこともご家族からの了解は得ていた。
その後、2時間位、屋台など見ながら、俺は自宅へ送って行った。

とにかく、その一夜は、クニちゃんにとっては、親分だった昔に、一瞬だけ帰ることができた最高の一日だった。家に着いても、何十年ぶりに参加したことを、しきりに奥様に話をしていたとのことだった。

それから数日後、俺は単独でその行為をしたことで、施設長に怒られた。「勝手に行動されては困る。あくまで職員と利用者の関係であるし、何かあったらどうするんだ。それに、あの人ひとりだけそのようにやれば、他の人にもやらないと平等じゃないぞ・・」と、くだらないうんちくを聞かされて、カラ返事をして帰った。

たしかに、勝手は行動したのは悪いかもしれない、事件や事故があったら、組織の長の立場とすれば困る行動だと思う。でも、本人も家族もそれを望んでいた。「石津さんに申し訳ない」と家族全員に感謝された。クニちゃん自身も、久しぶりにみんなとあって上機嫌だった。そうした「喜びの結果」が出ているから、別に怒られようが何とも思わなかった。

まだ介護の世界に入って間もない小僧が、あえて「利用者・家族の希望」という絶対的な根拠をバネに、反社会的な行動、反福祉的な行動をバンバン取っていた。だから、管理者からすれば本当に迷惑な部下であったと思う。

とはいえ、組織の一員として、上司の命には従わなければならないので、クニちゃんや他の関係者のところに謝罪に回り、もう二度と同じことはしないと約束した。

それから数年後、クニちゃんはこの世を去った。当時、俺は遠くに住んでいたので、別れの挨拶が出来なかったが、ようやく都合がついたので、線香をあげさせてもらえるよう頼み、久しぶりにクニちゃんに会いに行った。

その時、奥さんが俺に泣きながら話をしてくれた。
「石津さんね、あの人は最後まで、あの時の祭りの話をしていたんだよ。よっぽど嬉しかったんだと思う。ありがとね、石津さん。」そう、言ってくれた。もうあれから何年も経っているのに、ずぅ〜と思ってくれて申し訳ないと思った。よっぽど施設長の命を無視して、毎年連れて行ってあげればよかったとすごく後悔した。

あれから10年が経ち、今、こうして自分が責任者として介護に携わるにあたり、再度考えてみれば、決して俺のとった行動は間違っていなかったと思う。間違ったことは、それを「継続」しなかったことだ。

あの時、俺はたった一回怒られればそれでことは済む。でもクニちゃんはその分、忘れられない思い出になった。普通に考えて、福祉人として、どちらが取るべき行動かと考えれば、それは自然と答えがでてくる。

危険予測も大事なことだ、でも、そればかり先に進んでしまうと何もできなくなってしまう。最低限、本人も家族も「やりたい」というなら、やってやればいい。それが、社会組織の秩序?倫理?に反する行為と言われるのがナンセンスであり、なんでも枠にはめたがるケアマネジメントというくだらない手法にすぎないと思っている。

今、俺達はそうした教訓も踏まえて、ボランティア活動の一環として、「夢」を叶えることのサポート活動をしている。可能な限り、金銭面と人員面でサポートし、何とか出来なかった夢を叶えてもらいたいと思い設立したものだ。

「夢」の形も色々あるだろう、でも、俺達がちょっと手を伸ばしただけで、その「夢」が実現できるならチャレンジすべきだと思う。たとえ多少のリスクがあろうとも、本人や家族の理解が得られるものであるならば、それに向かって応援することが大事じゃないだろうか。

ケアに後悔は許されない。だから、「やってやろうぜ」。そう、クニちゃんは教えてくれた。

投稿日:2009/04/26 21:23:18