よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

福祉を志した理由とその支柱とは!

「あの人は、若いころバイクでお婆さんをバイクで跳ねて、しばらく少年院に入っていた。それから出所して、更生するためにこの仕事をしているのよ」・・・。これは俺が26歳の時、この福祉の世界に入った時に流れた噂だ。

よくもまぁ、そんな巧妙な噂を作ったもんだ。まぁ、それでも、そのように疑いをかけられてしまうような男だから仕方がない。見栄えは悪い、何の資格もない、字は汚い、学歴は不自然な空白だらけ、そんな俺を、運転手として雇ってくれたんだ。給与手取り10万でも、感謝しなければいけない。

埼玉で育った俺が、何の縁もゆかりもない静岡の地に降りた。田舎への憧れは昔からあったが、場所はどこでもよかった。ただ、仕事を紹介してくれた相談員の方が「あんた若い頃の石原裕次郎に似てる」、そうおだてられてから、なんか知らずに静岡に落ち着いてしまった。

なぜ、この福祉に道に志したか。それには俺が19歳の時に大きな事故を起こし、それでも看病してくれたおふくろの存在が大きい。

事故から数年も経っているのに、俺はプータロー、適当に水商売をしながら、これからどうしたらいいか決めかねていた。毎日が、求人誌とにらめっこしながら、迷走する日が続き、夜の街に人生の逃げ道を探していた。

昔からおふくろは「お前は、根は優しい子だから福祉に向いている」と口酸っぱく言われ続けていた。俺は、「馬鹿馬鹿しい」と鼻で笑っていた。

でも、俺が26歳の時、そのおふくろが直腸ガンを患った。大事なおふくろが「ガン」という病にかかったとう現実の大きさに成す術がなく、ただ泣きじゃくるしかなかった。今でも告知されたときのおふくろの涙が忘れられない。

そして、それから、俺達家族の戦いが始まったんだ。

おふくろは「なるようになる」と心配する俺達をよそに、早くも闘いを決意した。リスクの高い大手術ではあるけど、俺達以上に強がっていた。いや、きっと一人病室で泣いていたに違いない。そして何より辛かったのは、親父が俺の前でわんわん泣いたことだ。あんなに強い親父がまるで子供のように泣きじゃくり、おふくろを心の底から心配していた。

親父と二人、薄くらい部屋でただひたすら涙を流し続けた。

俺も「居て当たり前」のお袋が、もしかしたらいなくなるかも、という現実を受け入れることができなかった。無職でプラプラしている自分、そして、何一つ親孝行できていない。こんなデカイ図体しているのに、おふくろに何もしてやれない己の無力感が情けなかった。

「本当の親孝行は、親に優しくすることじゃない、子が立派な社会人となること」と、おふくろは小さい頃からよく言っていた。「道弘は、やさしいから福祉に向いているよ」。そんな言葉もよみがえり、俺は一つの答えを出しだんだ。

まずはおふくろと一緒に家族全員でガンと戦おう。そして、手術が終わったら、結果はどうであれ、親元から離れて一人立ちしよう。そうだ、昔から田舎への憧れがあったから、どこか遠くの田舎町で、裸一貫でやり直してみよう。

それから俺は、約10年間吸っていたたばこを止めた。親父も一緒にたばこをやめた。手術の前の日は、神社にお百度参りもした。手術前、面会に行き、「おふくろ、今度老人施設の面接決まったよ。行ってくるよ」。そんな希望あるおみやげ話もたくさん持っていき、安心して欲しかった。

「じゃ、お母さん頑張ってくるからね」、涙を流しながら手術室に運ばれた姿は二度と忘れることはないだろう。

それから何時間たっただろうか、おふくろは人工肛門を装着する結果とはなったものの、無事手術は成功した。たくさんの涙を流したが、家族の団結は深まった。そして俺の今後の方向性も決まった。

今までは落ちこぼれた人生だった俺だけど、何か誰かの役に立てることはないだろうか?
「人の為に生きる」「人に感謝される人間」に成って、これまでの自分をリセットしよう。

神様が最愛の親に、延命することを許してくれた。その与えられた猶予の中、俺は親が生きているうちに、本当の親孝行をしなければならないと思ったんだ。
「明日ありと思う心の仇桜」、家族はいて当然だと思っていた心は完全に消え、明日どうなるかわからない無常の教えを学んだ。

でも、そうした「当たり前が無くなる恐怖」のおかげで、俺は新たなスタートをきる決心がついたことはたしかだ。
「さぁ、次は俺の番だ」
我思いを、この福祉の舞台で貫き通そう。そして、次世代へのバトンを誰かに渡そう。
今は、その通過点に過ぎない。

俺は、声を大にして言うが、ファザコンでマザコンだ。親父もお袋も大好きで仕方ない。今まで散々迷惑を掛けてきたから余計にそう感じるのかもしれないけど、本当に両親の愛情に包まれて現在の俺は存在している。福祉の世界に入って10年、それでも、俺は甘えん坊の幼子のままなんだ。

歳老いた二人の背中を見るだけで涙が止まらない。もし、時がきたら、たぶん己の大事な核となる支柱を失うことだろう。それが怖くて仕方ないんだ。

だから、もう少しだけ、あと少しでいいから、甘えん坊のみっちゃんでいさせて欲しい。

投稿日:2009/04/18 22:54:16