よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

母の愛、海よりも深し!

母63歳、息子31歳、二人で暮らしていた。生まれつき重い障害をもつ息子は、一人では食べることも、着替えることもできず、すべて母の手によって生活を維持していた。

10歳から15歳の間は、障害者の施設にいたが、母はそんな息子の不憫に思い、その後、16年間、すべて母が一人で介護を行い、生活を続けていた。生活は貧しく、苦しいものであったが、母は幸せな日々を送った。

笑いもしない、泣きもしない、ただ、愛する息子の為だけに生き、外部に一言も不満を漏らすことなく、月日が流れた。ただ、母の疲労は限界に達していた。

ある夜、いつものように母は息子を抱きあげ、一緒にお風呂に入った。身体を洗い、浴槽に入ったその時、悲劇が起きてしまった。

母は長年の疲労の蓄積で、浴槽内で心不全となり意識をなくし、そのまま溺れ死んでいった。それを眼の前で見ていた息子も、助けも呼べず、身体も動かず、何十時間もお風呂に入ったまま、その後、母の後を追うようにして溺れ死んだ。


1997年、このニュースを聞いた時、俺は深い悲しみを覚えた。うる覚えで詳細は覚えていないが、その時、俺は急いで筆をとり、マリア様と、跪くイエス様の絵を描いた。何か、いてもたってもいられなかったんだ。何か不憫で、いたたまれない思いがあった。

でも、こうした現実は、決して悲しいだけのものではないだろう。

毎日、毎日、母は最高の愛情を注ぎ、苦しさにも耐えて生きてきた。子を思う母の強い思いが、結果的に、周りとの距離を生んだかもしれないが、それは二人にとっては逆に幸せな瞬間だったのかもしれない。障害を持って生まれた子を、私の力で最後まで育てようとする、その深い愛情に胸打たれ、俺は一人の子として、敬服しざるを得ない。

そして、何もしゃべることのできない、何も訴えることのできない彼の気持ちを思うと、無念であり、私自身の幼さを強く感じる。

でも、ある意味、幸せな親子像なのかもしれない。それは誰にも邪魔されない、二人だけの温かい空間があった。単なる親子の孤独死というだけでは失礼な、誰にもわからない、福祉では入り込むことができない、親子愛こそが絶対的なものとしてそこに存在したのだろう。

「母の愛、海よりも深し」
俺は、この瞬間の有難さに、感謝しなければならない。
投稿日:2009/04/14 10:51:45