よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

家族福祉の実現に向けて!

「私達は、もうひとつの温かい家族として、一緒に喜びや悲しみ、感動を分かち合い、自分らしい生活ができるように支援しています。共に生き、共に支えあう空間を通じて、『するされる』の関係ではない福祉の原点を目指すことにあります。」

そのように憩の家のパンフレットには掲載してある。サービスとして介護を提供するのではなく、家族としてお互いが役割を持ち、一緒に支え合って過ごしていこうという趣旨のもと考えたものである。

俺は「家族」というものに対して感慨深いものがある。甘えん坊のくせに、突っ張っていた不良時代を振り返ると、常に傍にいて、笑ったり、泣いたり、怒ったりするのは、そんな家族だった。仲間との深い絆は、時に反作用の法則をもたらすことがあるが、微妙な距離感を保つ家族とは、いつまでも変わらない親子の絆だった。歳を取り、移り行く老いの現実を前に、「このままじゃいかん、恩返しをしなければ」、そう思ったのが、この世界に入るきっかけだった。

自分は幸せものだと思う。こんな温かい家族に囲まれて、本当に有難いと思う。
いつかは離れ離れになるとわかっているから、そうした家族に対する思いは募る。

暴走族が集まって爆音を響かせながら夜の町を走り出す。若い頃は散々迷惑を掛けて生きてきた。でも、家族もある意味「族」という集団の一つに過ぎない。その中で自然と掟(ルール)が生まれ、それを遵守することで、堅い絆が育まれてきた。だから、暴走族も家族も同じように、集団の中で限られた時を過ごし、支えあい、いがみ合い、慰め合うことで、俺達は人間として大切な心を学んできたのだと思う。

社会学では、「個人」を集めたものが「家族」であり、家族をたくさん集めると「社会」であるという考え方がある。そこに福祉という言葉を当てはめると、「社会福祉」の整備はある程度進んできている。公的サービスも介護保険も、地域福祉活動も充足しつつあると言える。ところが、「家族福祉」はどうかと言うと、頭をかしげてしまう。

家族で支えあうことは、家族自身の努力のみならず、社会的な対応というのも同時に行う必要があるだろう。家族が持っている様々な役割、機能というものを相対的に社会全体で支えあうことは、非常に大事なことであると思う。

高度経済成長により、核家族化がどんどん進んでいったが、それが結果的に「家族機能」が衰退したということにはならず、むしろ「家族が支え合うのが当然」という日本古来の伝統が衰退していったと言った方が正しいだろう。だからこそ、福祉という媒体を通じて、家族というものの価値をもう一度考え直していくことが大事である。

個人の自由と集団の掟を認め合うことで、社会生活に必要な「絶対的価値」へと進化するものだと思う。

俺が前から話しているように、高齢者の最大の悩みは「寂しさ」。そこを、俺達の力で、何とかして、その補完的な役割を担えないか。円滑な家族機能を実現する為のクッションとして、役に立てることはないだろうか。というのが、我々の使命だと思っている。

しかし、最近の傾向としては、1人暮らしの高齢者や夫婦二人暮らしの高齢者がとても増加している。それは日本人の価値観として、「子供の世話になりなくない」「迷惑をかけてまで生きたくない」という美意識がそうさせているだろう。

だから、高齢者の死生観も時代と共に変わってきているのが現実だ。

今までの社会福祉の時代が、これからは家族福祉の時代へ・・。そして、個人福祉の時代と変化していくものだと思う。だからこそ、我々は、心の奥底まで係わらなければいけない責任ある役割とならなければならないのだ。

俺が実際に高齢者と接していても、「長生きしてよかった」なんて声はめったに聞かれない。どちらかと言うと、「早く迎えに来てくれないかねぇ」の方が明らかに多い。そのことは、本人の心も身体も、そして周りを取り巻く家族や社会も、このままでは決してよくない表れだと思う。

とは言え、俺はすべてが高齢者の為になるような社会にすべきでもないと思う。金も暇もある年寄りに、そこまでお膳立てする必要はないと感じている。だから、「適度にほっとく」ことが、家族単位であれば重要だと思う。そんな優しさと厳しさを踏まえて、「ほっとく」ことが自立心を芽生えさせるきっかけとも成り得るだろう。

ただし、それだけでは、発達した福祉国家はできやしない。様々な医療・福祉サービスの充実のみならず、地域力・市民力によるセーフティネットの拡充、そして、家族機能の再構築が不可欠であり、「寂しさ」を撲滅させることが第1の目標であると思う。それは、医療とは違って「心の問題」であることだから、銭をかけることなく、我々の支え合いで十分支援可能なものである。

しかし、その前提として、我々は「相互扶助」という福祉の心を持つべきであり、そこで感じ得たものを次世代へ継承していく、「福祉教育」こそが重要な鍵を握ると考えている。

ある91歳のお婆ちゃんがこんなことを言った。「石津さん、人生なんて短いようで長いよ」。
短いようで長い・・なんか世間で言うのと違うが、とても意味が深かった。

また、同じ歳のお婆ちゃんは、「90年、よくここまで頑張った」と独り言のように自分を慰めていた。うんうん、本当によく頑張ったね。と、うなずくしかなかった。

個人の形成には、必ず「家族」があり「社会」が存在する。社会福祉の構築はもちろんのこと、これからはもう一歩踏み込んだ「家族福祉」の実現こそ、多様化した高齢者の心の充足には、必要となるのではないかと感じる。

この世で一番大切な「家族」の為に、己の命を賭けて守ろうとする「熱き心」こそ、福祉の根幹ではないだろうか。
投稿日:2009/04/12 18:43:51