よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

幕末に学ぶ福祉論!

「この世で何が好きか?」と尋ねると「おんなが好きでございます」と言った。
これは俺の言葉でなく、高杉晋作が話した言葉だ。

生い立ちに苦労もなく、甘やかされて育った晋作。酒と女、詩をこよなく愛した一方、「動けば雷雲の如く、発すれば風雨の如し」と、型破りな行動で人生を駆け抜けた、維新回天の革命児に、俺は憧れている。

たしかに、俺には晋作のような才能は持ち合わせていない。自分の力で世の中を変えるだけの力量もカリスマ性もない。でも、彼の破天荒な行動の結果、のちに大きな何かが動いたことは事実であるし、直言直行・傍若無人・波乱万丈な生き様は、おおいに見習うべきものがある。

特に、現在の偽善ぶっている、くだらない福祉の世界には、徹底した志操を持ち合わせた狂者が必要であり、己の利益を考えず、捨て身になっても進もうとする志こそ重要である。そうしたものが、この病理的な福祉社会をぶち壊す真の力だと信じている。

俺は、現代の福祉に携わる人間こそ、滅私奉公の教えを貫くべきだと思っている。
有名な玉木文ノ進と吉田松陰の話は心に残る。

ある夏の日、叔父の玉木がまだ5、6歳の松陰相手に学問を教えていた時のこと。本を読んでいた松陰の頬に虫が飛んできた。松陰は何気なく手で虫を払いのけたのだが、それを見ていた玉木は烈火のごとく怒り、松陰に対して殴る蹴るの凄まじい折檻を加えた、

玉木は、松陰がいま本を広げてやっている学問は、「私」のためにやっているのではない。身につけた学問を、将来、殿様のために役立て、藩のために役立て、天下国家の為に役立てる為にやっている。いわば「公」のことをやっているのだ。その最中に、虫がとまって痒いというのは「私」ごとである。お前は、いま、公私混同をしたのだと。

そんな一幕は、その時代の特性かもしれないが、俺は現代の私利私欲社会がまかり通る世の中において、そうした滅私奉公という教えが重要であると思う。つまり、「私欲」を捨て、義と公に照らし合わせて、それが正しいとうならば、断固立ち上がらなければならないというメッセージであると思う。

「体は私なり 心は公なり 私を役して公に殉う者を大人と為し、公を役にして私に殉うものは小人と為す」吉田松陰

とはいえ、欲を捨てることなんて、なかなかできるものじゃない。でも、あの時代の彼らにとって、肉親の情という「私」を振り払わせたのは、自分の進むべき道こそ、藩のために最良の道である「公」の立場だったからだ。

つまり、これからの超高齢社会において、こうすれば誰もが心から安らげる福祉社会を実現できるという自信を、生きる活力を見出す必要があるのだ。いつまでも多額の税金や保険料を徴収し、介護保険に依存した福祉社会をいつまでも継続しては絶対にいけない。天下国家の為に、公である福祉をどう具現化していくかが、科せられた使命であるのだ。

福祉に携わる者は、「公僕」であることを忘れてはならない。そう思っている。

俺も高杉晋作のように、「これより長州男児の肝っ玉お目にかけ申そう」と言いたいが、俺の肝っ玉は、かなりちっちゃい。ぶっちゃけ、米粒くらい。でも、晋作はこう言う。「男は肝心な時に立ち上がればいい。すべてを投げうって立ち向かう度胸があればいい、強い信念があればいい。」

「男子というものは、困ったということを決していうものではない。困った、困ったと立ち止まっていても何も始まらない。どんな問題でも、そこから一歩足を踏み出すときこそ、人生も、時代も動きだすのだ。」

土佐浪士、中岡慎太郎に、幕府との開戦の決意を尋ねられた時に晋作は、「不肖、拙者の生命がある限りは御安心あれ。古くから天下の事を行う者は、大義を本分とし、決して他人に左右されることなく、断固として志を貫く。禍福や死生によって気持が揺れ動いたりするものではないのだ」と涙ながらに返答したという。

時代が違うにせよ、俺達福祉人は、そうした志を、自分を犠牲にしてまでも貫き通す心構えが必要なのではないだろうか。先人が、命がけで戦い続けたおかげで、この平和な社会があるにも関わらず、在り来たりの介護だけで、福祉社会を論じる者は、とても醜い存在に思える。先人に対して、このままでは申し訳ない。

俺達は、そうした聖賢の訓を参考に、捨て身で福祉の変革を模索すべき時、新しい福祉の構築に向けて目指すべき時に思える。

負けるとわかっていても、それでも立ち向かわなければならない時がある。そこで、尻尾をまいて逃げるのか、踏んばるかで、人間の値打ちが決まる。勝敗を超えて奮闘するものが現れ、人々の魂を揺さぶったとき、常識では開くはずのない重い時代の扉が開く。

そんな長州の熱い血が、俺には流れていることを絶対に忘れはしない。
投稿日:2009/04/11 21:44:02