よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

福祉、介護の3Kとはこれだ!

一般に、3Kとは、「きつい、きたない、きけん」と言われている。介護の仕事は、特に3Kの仕事と言われ、敬遠されがちである。

でも、どんな仕事だって大変なはずだ。この介護の仕事なんかより、土方や工事現場で働くおっちゃんや、営業マンで夜遅くまでやっている奴の方が、よっぽど大変だと思う。俺が営業マンをしていたころ、朝7時には出勤して、夜9時10時はざらだった。中小企業は特に、労働基準法なんてあってないようなものが通例だ。

それに比べて、「介護がきつい?」ふざけるなって、言いたいよ。シフトが組まれて、残業毎日5時間以上なんてめったにないだろう。数字に追われ、上司からギャンギャン怒られることもない。それに、色々困っている人の手助けをして、何がきついだ。甘すぎる!

俺なんて、一週間のうち休みなんて1日もない。せいぜい正月位なもんだ。なぜ、それができるか?それは仕事と思っていないからだ。俺の場合は、もう趣味の域に達しているから、全然問題ない。たしかに介護はキツイ仕事かもしれないけど、それは気持ちの持ち方一つだと思う。セカセカ入浴介助だトイレだおむつ交換だって、業務としてやっているからだと俺は思う。

そして、「汚い」まぁ、たしかに汚い仕事かもしれない。働いている連中の価値観も違うし、経営者は銭勘定ばかりだし、そりゃ人間は汚いわ。でも、純粋に利用者を介護することにおいては、ある意味汚くて当然だ。誰もそんな世話になりたくないものだし、しもの世話なんて誰だってやりたくないものさ。でも、いつかは人の世話になりながら排泄をするものだろう。

それが、「汚い」なんて言っているようじゃ、介護をする資格はない。それが当たり前であり、「汚いもの」と捉えることが、逆に失礼極まりない。それは胸にしまい、すべてを包み込む人間の深みがなきゃ駄目だ。

あと、「危険」。たしかに、精神病院とか、知的障害施設とか、暴力沙汰もあるかもしれない。俺も若い認知症の男性に殴られたことや、女性にひっかかれたこともたくさんある。そういう意味では「危険」もあるだろう。

でも、命を脅かすような危険はまずないだろう。工事現場で働く人じゃあるまいし、せいぜい怪我する程度だ。それに高齢者関係では、まず危険なことも少なく、全然「安全」な仕事だと思う。

つまり、介護の仕事は「きつい、汚い、危険」と言われるが、決してそんなことはないということだ。そんなことを念頭に置いて仕事をすることが、相手に失礼を与えると思う。俺達は、一人の命を全うするその時まで、最後の脈をうつ時まで、その個人の尊厳を守り、見送り届ける役割があるのだ。

だから、それで当たり前なのだ。

また、最近では、介護分野の新しい3Kとして、「きつい、給料が安い、結婚ができない」だそうだ。

給料が他の業種に比べて安いのは当たり前だ。税金や保険料という安定性があり、数字を気にしなくても仕事はできる。他の職種と一緒に考えること自体がおかしな話で、給料以外に大きなものを頂いていることを考えるべきだろう。

俺なんて、現在4つの仕事を掛けもちでやっている。それでようやく飯が食べていけるくらいだ。だから、給料が安いとか言っている野郎は、よそで他に働けばいい。それくらいの根性がなくて人の世話なんて出来るわけない。

あと、結婚ができない、に関しては、俺の場合は自分からしないだけだ。決してできないわけじゃない。少々言い訳気味かもしれないがな・・・。それは当たっているかも・・。

とにかく介護の仕事はマイナスイメージでとらわれてしまうことは残念だと思う。先ほども述べたが、俺は仕事ではあるけれど、仕事として利用者に接しないように注意している。それはうちのスタッフにも同じことを言っている。

「利用者とスタッフの垣根をなくそう」それが目標だ。だから、誕生会も利用者だけでなく、俺達スタッフも同じように祝ってもらうし、お菓子もバクバク食べながら過ごしている。だから、仕事として考えないことが大事なんだ。一緒に楽しんじゃえばいいことだ。

仮に仕事として考えるならば、俺は完全に職業病に犯されている。私的に遊びに出掛けても、「ここなら年寄りを連れくれば喜べるなぁ」「ここのトイレはまずいから無理かな」「こんな美味いもの、あの人に食わしたら喜ぶだろうなぁ」・・、って、何処へ行ってもそんなことばっかり考えている。

一緒に遊びに行く女にとってみれば、毎回そんな話してれば嫌になるわなぁ・・。

でも、俺は、職業病くらいなるようで丁度いいと思う。「今はプライベードだから関係ない」という奴に、福祉の仕事なんて勤まらないはずだ。たとえそれでうまく行っても、必ず利用者から心なき対応の歪みが出てくると思っている。自分が最高の幸せを感じたならば、それを多くの方に知ってもらいたいというのは、むしろ人間として当然のことだ。

公僕ではないけれど、俺達もそれに似たような私的自由は諦めて、困っている人達の為に、常に色々とアンテナを張って生きていかなければならないんだ。

だからこそ、俺達は常に自己啓発を怠ってはならない。自己啓発とは、@志、夢をもつこと Aプラス思考であること B何事にも信念を持つ、C豊かな感性を持つこと。
それらを堅実に行っていれば、くだらない3Kなんて言っていられないはずだ。そんな暇なんてあるわけがない。

俺達の仕事は、ただ、金銭を稼げばいいという仕事じゃない、人間の本質に関わり、おそらく人生の終焉に携わることがある中で、過去を否定せず、残りの未来へ結び付けることが大切だ。それが、きつい、きたない、きけん、など、言ってる猶予はないと思う。

だから、俺にとって3Kとは「傾聴、共感、そして感動」と考えている。

相手の話を真摯に傾聴すること、そして共感的理解を示すこと。それを繰り返すことで、固まった凍りが次第に溶けだし、閉ざされた心が開けてくる。そして、人間と人間との深い感動が必ず得られるはずだ。そのことで、お互いが自己啓発を自然に行い、目に見えない成長を遂げる。まさに、本当の福祉社会の理想がそこにあるような気がする。

介護はマイナス要素ばかりではない。もっとたくさんの感動が得られる仕事であることを忘れてはいけない。

さぁ、みんなで3Kについて考えてみよう。
「傾聴、共感、理解」が俺の答えだ。

決して、介護の3Kは「簡単、簡略、完結」に、ではないから気をつけろ。
闇金融の3K「貸した、金、返せよ」・・。どうも失礼しました。
投稿日:2009/04/10 21:52:20