よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

「ふくし」は夢を抱かせるもの!

「ふ・く・し」・・・・ふだんの、くらしの、しあわせ  だって・・。
お上手、お上手。

俺はそんな調子のいいことばっかり言っている福祉がくだらないと思う。俺達は夢を与える仕事なんだ、普段の暮らしをサポートするだけの存在なら、何も専門職としてやっていかなくてもいいわけだ。

とはいえ、人に夢と書いて儚い(はかない)とも読むから、俺の理想としている福祉人の姿は幻想かもしれんけどな・・。

俺はよくウルトラマンと一緒だという話をする。困っている人を、自らの体を張って助ける。そして、事が済めば何事もなかったかのように去っていく。そんな強いウルトラマンも、故郷の遠い国から、地球上の人々の笑顔見て、優越感に浸る。もしかして、「俺って強いよな」って関心しているかもしれない。でも、俺は、そんな根暗さが、まさに福祉人と一緒だと思うんだ。

俺が20歳頃だったか、家に帰る電車の中、ちょうどその日は雨が降っていた。俺が座っている横には怖いスーツを着た30代半ばのおっさん、その横には作業着姿の弱そうな50位のおじさんが座っていた。

最寄りの駅に到着しようとした時、奥のおじさんが立ち上がり、歩きだした。その時、傘についていた雨の滴が、その怖いおっさんのズボンの上に落ちた。「おい、コラッ!ズボンが濡れたやんけ〜!」、と怒鳴り散らし、もっていた傘でいきなりそのおじさんを叩き始めた。

バシッバシッ叩く。「すみません、すみません」。謝るおじさんをよそに、傘でボコボコ叩く。周りの客も喧嘩だと知り、違う車両へ逃げていく。

俺はまだ椅子に座ったまま、逃げたくて仕方ないけどタイミングが遅れた。それでも目の前でステージには3人、何となく周りの視線も気になり、何を勘違いしたのか、そのおっさんの傘を握り、「やめてあげなよ。謝っているだろ!」。ちょっと怖そうなフリして言ってみた。すると、運がいいのか「バカ野郎、気をつけろよ」といい、隣の車両まで歩いて去っていったんだ。

もうしょんべんがちびりそうな位、俺はビビりまくった。でも、取り残された弱そうなおじさんは、涙をためて俺を手を握り締め、何度も頭を下げ、「ありがとうございました・・。本当に助かりました・・。」

怖くて震えていた俺の手を握りしめ、そのおじさんは「あの〜、せめて名前だけでも教えてくれませんか?」(きたきた、よし、長年言いたかったセリフを言ったろう)

「いや、別に名を名乗るほどの者じゃないっすよ」
(ひゃ〜かっこいい〜。まるで映画の一場面みたい)

それから次の駅で降りる俺はやや下向き加減で、震える手をポケットに隠し、かっこつけて帰った。その時の心の中は、もう、自分自身がかっこよくて、仕方なくって、武者震いが止まらなくて、「あの光景を見た客は絶対俺に惚れたな」と勝手な空想を広げながら、笑顔で帰ったのを覚えている。
でも、そう思って振り返って誰もいなかった、その虚しさは今でもよく覚えている。

そんなくだらないエピソードだけど、俺は福祉人というものは強い正義感を持つことが必要だと思う。信念を持って己の正しいと思う道を貫き、その過程で自分の行う行為で誰かが幸せになるならば、最高じゃないのか。だから、単純に困っているから助けるという感覚じゃなく、そうした強い信念と行動が、その人にも幸せを与え、周りの人の心にも何か感じ取ってもらえるのだと思う。

助けるだけなら、強い男でも財力のある人でも、誰でも可能だ。俺達はそれだけでは済まされない。ある方向性を示すこと。ただ、困っているから救えばいいわけじゃない。新しい生き方の道筋を提示し、どこが問題だったのか追及し、できない部分を支援する。そして、そのことで、「生きる勇気」を与えることが大事なんだ。

ふつうの暮らしをサポートするだけなら、福祉人とは言えないだろう。介護サービスという決まりきった枠の中でやれば十分だ。介護保険というくだらない制度の中でやればいい。でも、俺達は、ウルトラマンのようなヒーローになるには、夢を与える存在にならなければいけないんだと思う。

「俺でもできる」というチャンスを与えてあげること。どんな時でもどんな場所でも、関係ない。衰える心身機能に逆行し、「いや絶対大丈夫!」ということを行動で示すことなんだ。「きれいごと言ったって・・」と揶揄されるかもしれないが、きれいごとからこの仕事は始まるんだ。「無理」と言われても「大丈夫」というのがこの仕事なんだ。

俺達はボランティア活動の中で、「夢を叶えるプロジェクト」を作っている。それは、身体が不自由になった方に、もう一度叶えたい夢を聞き、それを人員面、金銭面でサポートする活動だ。そうした夢を諦めないことは、明日への生きる望みとなり、生活も充実してくると信じているからなんだ。

ウルトラマンの最後は、戦いに疲れ、衰えて、故郷へ帰る。でも、彼のやった行動は、地球上の人に生きる勇気を与えた。つまり俺達の心の中で生き続けている。

吉田松陰の教えは、没後に多くの門下生の心を突き動かし、高杉晋作、久坂玄瑞らの心に生き続けて、世の中を大きく変える礎を築いた。

ただ、介護だけすればいいなんて、くだらない。ただ、普通の生活が送ることができればいいなんてくだらない。不可能を可能にしてやる!と、まず俺達自身が立ち上がらないと何も始まらない。

もし、夢は叶わぬものであるならば、せめて儚さがわかるまで、共に戦ってやることが大事なんじゃないのか。そして、たとえ儚いものと認識しても、最後まで夢に挑み続けることこそ、本当の「ふくし」の意味なんだと俺は思う。

ともあれ、「ふ・く・し」・・・・ふだんの、くらしの、しあわせ は本当だ。
決して、ふけて、くるんで、しぬこと  ではないから気をつけろ!失礼しました。
投稿日:2009/03/29 20:44:07