よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

ボランティアこそ福祉なり!

俺の根本は、「福祉は奉仕」。つまり、無報酬が原則であると思っている。金や物の為に動くのではなく、困っている人のために、自らが行動するボランティア活動こそ、福祉の原点であると言える。

だからこそ、俺達はこのボランティア活動を平成18年から地道に続けている。これからも、事業の収益の一部やご寄附・ご寄贈いただいたものなどの大切な資金を、そうした活動に積極的に使うことで、「福祉をしている」と胸を張って自負できる。

とはいえ、多くのボランティア団体が苦慮しているように、思いだけでは長続きなんてしない。そこには財力、つまり人材も資金も大事な要素だ。その点において、うちらの活動はまだまだ発展途上に過ぎない。人材も資金も、もっと多くを注ぐことで沢山の感動を与え、逆に得たいと思っている。

何より俺が感銘を受けたのは、難病ケア市民ネットワークの山田さん、そして焼津の待井さんとの出会いだった。自らALSという難病と闘いながら、一生懸命生きる姿を見て、俺は力強いエネルギーを貰った。多くのチャンスを貰い、学ぶことができ、そして、少なからず何かを伝えることができたと思っている。

俺は、単純馬鹿だから仕方がない。相手が病気だから、障害者だから、年寄りだからなんてまったく関係ない。言葉悪いが特別扱いはしないし遠慮もしない。俺達にはフェアーな関係が大前提だし、それが長く続ける秘訣だと思う。それこそ、心のバリアフリーの原点だからだ。

ボランティアこそ究極の自己満足。でも、それで誰かが喜んでくれるのであれば、その自己満足には価値がある。自分だけが楽しんでいるわけでなく、熱いメッセージを相手に伝え、「こんな俺らでも役に立てる」ということが最高に嬉しいことなんだ。

病床で苦しむ患者さんは、健康を取り戻すべく、明日の幸せを夢見て、日々、己と闘い続けている。認知症が進行している人は、忘れゆく記憶の恐怖に怯えながらも、日々、忘れまいと努力し続けている。老いた人は、生きた軌跡をたどりながら、劣りゆく身体に葛藤を繰り返しながら、日々、一日を無事に過ごそうと頑張っている。

だからこそ、俺達は立ち止まっちゃいけないんだ。「できること」を地道にやっていくことが大事なんだと思う。そして、俺達には「限り」「終わり」がまだ見えていない。だから、その日が中途半端に終わっても、明日に逃げてしまう。

人間が寂しいと思う瞬間は、「限り」。つまり、己の人生の先、未来が予測できた時の絶望感。その時の寂しさは、俺の想像を遙かに超える、奥深いものであるに違いない。だからこそ、半歩でもいいから、何かを与えるために前進しなければならない。誰でも、その「限り」は来る。そうなる前に、俺達は少しでも歩んでいかなければならないと思う。

立ち止まったら、何ひとつ、解決の糸口は見つからない。後悔なんてする暇あるなら、まずは歩き出すことだ。
「一寸の光陰軽んずべからず」

だから、俺達は、不完全燃焼で終わらせたくない。1日1日を全力で生きること、そして、できることを、もっと外に発信していこうと考えている。何かに属するのではなく、自らが発信源となって行動することが、今まで団体に依存し続けたボランティアの在り方を問うものであり、明日の福祉を変えるものだと信じている。

テレビで呼びかけた寄付金が、立派な施設に立派な新車が届く現実がある。悔しいけれど、仕方がない。でも、これだけは断言できる。そこいらの半端な福祉法人やら営利企業より、俺達の方が立派な福祉活動をしているし、使命感もあるということを。

「今日をどう生き、明日をどう死ぬか」落合信彦
投稿日:2008/09/01 19:23:04