この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。
尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。
よりみち
競争し、無駄をなくし、福祉に何が残るのか!
昔、ドラえもんの本で、「立った兄さんと立った兄さんが争う」ことが「競争」であると、聞いた事があった。
競争社会。日本の教育はそれを潜在的に植え付けられて、それが当たり前のようになっている。だから俺のような負け犬が存在するのだろう。
俺は競争社会が大嫌いだ。なぜなら人生負け続けてきたから。負けるのが嫌いだから競争もしたくないのが本音だ。でも、お陰様で、気づいていないところで、ひょっとして勝っているのかもしれない。だからこそ、今、普通に飯が食べられているのだろう。
でも、逆に考えれば、競争がない社会なんてあり得ない。むしろ地球上に生がある以上、すべての生が挑まなければならない宿命なのかもしれない。勝つか、負けるか、つまり生か死だ。
ダーウィンが「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」と説いたとされている。
別に、ダーウィンに愚痴言うわけじゃないけど、変化に対応できるには、力もいるし、頭もいるんだよ。競争に勝たないと、生きていかれんのが現実よ。
人は競争する。競争の土俵が何百通り、何千通り、何万通りあるかは知らんが、それで戦うものなんだ。それがたまたまテストの成績やマラソンの順位だったりする。そういう舞台(ステージ)がこの社会には沢山あるということ、ただそれだけ、と自分では理解している。
世の中に誰もいなくなったら競争はなくなるのか?いや、何かを探すだろう。生物は競争する生き物なのだ。
話は変わるが、小泉改革の市場原理主義により、競争社会が色濃くなったのは実感として思う。それがいい面、わるい面、色々あると思うが、それが正しいかどうかは俺にはわからない。でも、単純に何か大切なものを失ってしまったような錯覚にあるのも事実だ。
先日、酔っ払ってタクシーに乗った時、その運チャンは無愛想で、こっちが話しかけてもムスッとしていやがった。近道を選び、ただ淡々と決められたルートを決められた形で業務を遂行した。そりゃ、当たり前かもしれんけど、なんか銭出すのが悔しくてたまらなかったよ。
昔のタクシーの運チャンなんて、愛想のいいおっさんが多くて、説教の一つや二つくらったもんだよ。なんか人生相談かなんかしたり、嬉しくてチップなんてあげたりして、そんなサービスという土俵ではない「付加価値」がそこにあったから楽しかったんだ。多少遠回りしようが、銭がかかろうが、そんな「無駄」が楽しかったんだ。
たかがタクシーのひとコマかもしれないけど、俺は世の中のすべてのものが、そうした競争原理の中に大切な無駄を失ってしまうのが怖くて仕方がない。
世の中のすべてがアナログからデジタルに変わろうとしている。1から10をスムーズに実践するのことのみが「正」とし、錦の御旗を掲げることができる。俺達は常に情報に左右され、利便性、効率性が、どんどん世の中を変化させている。その変化についていけないから、ダーウィンから言わせればオレみたいなやつは滅びるのであろう。
よく小学校のマラソン大会で、一等賞は拍手で迎えられ、でも一番ビリの人間もその何倍もの拍手で迎えられることがある。個人的に、そんな「決まり切った綺麗な形」が好きではないけど、日本の古き良き、素晴らしき甘えん坊の文化だと思う。
機械でも、マラソンでも「早い魅力」があれば、「遅い魅力」がある。都会で暮らしたサラリーマンが辞めて田舎で自給自足をするのも似たようなものだ。世の中が変化すれば、勝ち負けは必ず生まれ、無駄であるものないものがはっきりしてくる。
でも、俺は、そんな競争して勝ち負けのある社会、競争して早い遅いの社会、をすべて否定はしたくない。ましてやこの福祉業界は、サービスの質とか満足度という舞台において、当然あるべきものだと思う。
しかし、そうした中で失われるものがあるということをわかってもらいたい。人と人との係わりは究極のアナログであり、一体、何が勝ちで何が負けなのか、その競争で勝つことで何を得て、負けることで何を失うのか。俺は、この福祉を競争化することに、全く旨味を感じない。無駄を無駄と評することができるのか?俺にはその判断ができないからだ。
利用者の満足度に明確なゴールがあれば、それは競争で勝ち得るよう努力をするだろう。でも、そんなゴールなんてあるだろうか?人の充足度なんて、日々変化するものだから、それを一つの舞台で戦うことは難しいだろう。
むしろ、そんなくだらないことを考えず、競争原理を超越してしまえば、俺はもっと自分自身を見つめることができ、真の新しい福祉の姿は見えてくるように思える。競争する相手は自分自身だ。利用者の限りなき「充足」に、少しでも近づけることができるよう己との戦いが大事だと感じる。
競争を超越し、無駄を楽しむ。そこにアナログ相手の福祉の旨味があるように感じる。
以上、負け惜しみの言い訳でした。
投稿日:2009/02/23 19:16:48