よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

たった一人の恩師、道子先生!

小学校の時、俺は近くの塾に通っていた。山野井塾。川沿いにある小さい一軒家で、夫婦二人で経営していた。そこにはマンガやお菓子が沢山あって、勉強しながらお菓子も食べられて、楽しい塾だった。

俺はそこで、小学校5年から中学校3年まで、高校へ進学してからも何度か通っていた。そこで、お酒を飲んだり、たばこを吸ったり、他の中学校の悪い連中も集まったりして、何だかよく分からない塾だった。

でも、そこには本当に暖かい空間があった。「勉強を楽しくやろう」っていう、塾長の方針があったのだろう。その塾長の奥さんが、道子先生だった。

道子先生は身体も細く、目も細いが、メガネの奥から見える小さな眼光は鋭く、とても教育熱心な方だった。落ちこぼれた生徒を絶対に見捨てることなく、いいところを評価して、そこを伸ばすという独自の教育思想を持っていた。

小学生の頃だったか、俺が宿題を忘れて行った時、道子先生からこっぴどく怒られた。道子先生は、「石津君!何で宿題を忘れたの?」、俺は「遊びに夢中で忘れました」と答えた。もちろん、その後はえらく怒られたし、居残りもさせられた。

それから数日後、道子先生とおふくろとの面接があり、てっきり俺はおふくろにそのことを報告され、また怒られるとばっかり思っていた。でも、道子先生は違ったんだ。

「お母さん、宿題は忘れたことはいけないことですが、『遊んでいて忘れた』という正直に話をするなんて、今どき珍しいくらい、素直でいい子じゃないですか」

そう言って、我が子の失態で赤らむおふくろをよそに、俺を褒めちぎってくれた。もちろん、俺は道子先生がそんなことをおふくろに言うなんて想像もしていない。
こんな小さな出来事だけど、小さな俺にとっては、道子先生の深い包容力にただ尊敬した。

俺は教育論者じゃないから、よく分からないけど、本物の先生が怒る時は、愛情を持って接していることが前提であり、更に、その子の潜在能力を引き出す為に、先々を想定して行っているものだと思う。

宿題を忘れたことを怒るのではなく、平気で忘れる行為そのものが、その後の将来に与える影響を心配して怒るのだ。そして、素直に報告したことをちゃんと陰で評価し、もっと伸ばそうと働きかける。それほど、教育者というものは、深く心の奥まで入っていかないと、成り立たないものであると思う。

そんな道子先生は、俺が高校2年生の時にガンで亡くなくなった。享年45歳。夫と幼い子を残し悔みながらあの世へ行った。葬儀には大好きなクラシックが流れ、悲しむ葬儀ではなく、先生のご意向を踏まえた賑やかな葬儀だった。

今でも俺は実家に帰ると道子先生に会いにいく。
墓石には大きく「命なり」と書いてある。他には何も書いていない。ただそれだけだ。

「命なり」

そのメッセージは、俺達に生きることの素晴らしさを、たとえ地の底に落ちようが、命がある限り無限の可能性を見出しなさい、私はここでちゃんと見守っているから。という道子先生の我が子を思わせる叱咤激励の一句であり、また、教育者として、最終的に伝えるべきは「命の素晴らしさ」という真髄を語っているようにも思える。

「生きているうちに本当にやりたいことをやりなさい!」
そう言って、教鞭を振るう先生を今でも思い出す。

先生。俺は先生に言われたことを忘れないよ。落ちこぼれだった俺を、他の子と変わりなく、ちゃんと認めてくれた期待に、ちゃんと応えられるようにね。

本当に自分がやりたいことは何なのか。そして、命というたった一つの宝物を、不惜身命、最後まで輝き続けて生きられるよう、頑張ってみるよ。

失敗しても、道子先生ならそれを褒めてくれる。だから安心して頑張れるよ。
ちゃんと見とってね。先生。俺にとってはたった一人の恩師だからさ。
投稿日:2009/02/18 21:36:19