よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

背中を見て学ぶ素晴らしさ!

政治家が二言目にいうこと、「これからの若い世代のために・・」。金持ちの爺さんが言う「可愛い孫たちのため、将来のために・・」ってね。俺はその考えに反対するつもりはないが、基本的にガキはどうでもいいと思っている。

「それでよく、高校の講師をしているねぇ」と怒られるかもしれないけど、馬鹿なガキだってちゃんと、大人をよく見ているよ。その姿を見て、自分の生き方を模索しているんだ。だから、わざわざ子供の為に、お膳立てする必要はないと思っている。

俺達の仕事は、日々、「高齢者の為に何ができるか?」「残された人生、何をすべきか?」という、年寄りの為、つまり正反対のことを一生懸命やっているから、若い世代のことなんて考えている暇なんてない。

 でも、そうやって「若い世代のために」という甘やかしが、「ゆとり教育」という失態を生み、バーチャルという架空世界を作り出してしまう社会になってしまったんだと思う。

俺もフリーター時代が長かったからよくわかる。働きたくねぇさ。親がメシ食わしてくれれば、あとはテメエの小遣いだけだ。適当にバイトでもしながら、遊びほうけて、でも、心のどこかで「これじゃ、マズイよな」って、考えていたもんさ。

子供の将来の為に、色々な選択肢を与えられる社会は素晴らしいと思う。でも、やる気のない子供を甘やかしても、結局、効果なんてあるわけがない。子供を変えるのは、親でも社会でもなく、本人の気持ち一つなんだ。あくまで俺達、大人は、「ある一つの生き方」を証明しているだけの存在に過ぎない。きっかけがわからない連中に対しては、教育者がその役割をすればいい。

バーチャルの世界でもいい。根暗でもいいさ。俺も究極の自己満足主義者だ。自己満足は、人に迷惑をかけるものでなければ、実行力・行動力に必ず反映されるものだ。現実社会を直視できずにいることは、むしろ子供だから当然のことなんだよ。
そこを、大人や社会が変に口を挟みだすとまたおかしくなる。

だから、俺は言うよ。
「年寄りの背中を見ろよ」

 俺も若い奴が大好きだ。日本の将来の為に、少しでも役に立ってもらいたいと思う。でも、それが甘えになってはいけない。つまり、昔からの日本人がやってきたように「お爺さん、お婆さんの背中を見る」ということだ。モノを作るにしても、食べ物の保存方法にしても、みんなそうした昔の人達が一つ一つ作り上げて現実の形となっていることを忘れてはいけないと思う。

 今の子供は、インターネットで、必要な情報や解決方法を即座に答えを見つけることができる。そこまでに至った「目に見えぬ根拠」というものを探ろうとしない。便利になった社会になり、大人達が子供を甘やかすことで、高齢者を尊ぶ思いは確実に崩れていったと思っている。
 
 でも、俺は決して現代の子供達を否定するつもりもない。便利になっていいじゃないか、チヤホヤされるのも少子化社会だから当然のことさ。俺だって綺麗ごと抜かしているけど、ドップリぬるま湯につかって育ってきた世代さ。

 ただ、考えてもらいたいことは、小さくやせ細った背中は、戦争という地獄をくぐり抜けてきた。戦後貧しい日本において、生きる為に戦い抜いた歴史がそこには刻み込まれている。だから、俺達は、常に人生の先輩達に敬意を払わなければいけない。イメージ力を高め、時代を回想し、今の幸せに感謝することを忘れてはいけないと思う。

そして、そのことを我々が実践することで、少しずつ若い世代の心に響いてくるものではないだろうか。それが、老人福祉論の根幹ではないかと思っている。

俺は死ぬまで高齢者のことを考えて生きていく。ガキのためになんてさらさら思っちゃいない。俺が魂を込めてお年寄りと接することで、その背中を見て若い世代の連中は何かを感じ取ってくれるはずだ。そう信じている。

 「背中に学ぶ」。それが日本人らしい、美しい教育文化だと思っている。
投稿日:2008/09/03 18:47:05