よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

後期高齢者医療制度に物申す!

平成20年4月より、後期高齢者医療制度が始まった。偉い政治家の先生方が将来を危惧するあまり考えた画期的な制度なのかもしれない。俺は、難しい予算の問題とか制度に関して詳しく知っているわけではないけれど、とにかく、この制度の名前がよくない。批判を受けて、「長寿高齢者医療制度」と、名前を変えたみたいだけど、そんなもんで納得するわけないわな。

この制度の一番の問題点は年寄りの精神的な不安を生んでしまったのがマズイと思う。そりゃそうさ、「明日から、俺は後期高齢者だ」って落ち込む人もいるだろう。まぁ逆に施設では「後期高齢者祝い会」とか企画するかもしれんがさ。とにかく線引きはよくない。75歳からっつのがな。

年寄りはそれでなくても「寂しい」。配偶者との死別、家族の中からは邪魔者扱いされ、疎外されている年寄りが多いのに、そこに輪を掛けて社会から疎外されたらどうなるんだ。
それを政治が率先して導入したことに、高齢者に敬意を表しない姿が見てとれる。
そりゃ、政治家にでもなれれば、老後はそうそう心配でもなかろう。75歳で後期高齢者になろうが、金もあるし家族もきっといるだろう。一番、心配なのは、そうでない一般の人達の気持ちだ。

俺は昔から話をしている。「痛い」のを緩和するのは、医者や看護師の仕事だ。俺達が福祉人としてやらなければいけないのは、対象者の「寂しさ」への緩和だ。経済的なことも、家族間のことも、社会的役割のことも、寝れない夜に忍び寄るこれからの生活の不安も、みんな寂しさに怯えている。だから、俺達はその敵と戦っていかなければならない。たとえ一時であっても、気分を変えてもらうことが大事だと思っている。

氷川きよしには負けるけど、俺もよくおばあちゃんから、「わたしゃ、あんたが大好きだよ」と言われる。それが何より嬉しい。そう言ってもらえるということは、たとえ一時でも、俺がそばで話をしている時は、寂しくないと思うから。

「寂しさ」のすべてを無くすことなんて所詮無理な話だ。俺達は、寂しさは誰にでもあることを認識しつつも、少しでも緩和できるよう努力することが大事だと思う。

その意味で、75歳になったら「後期高齢者医療制度」に加入せよ、というのはおかしいと思う。だから、制度を変えるのは大変だから、名前を変えてはどうか。どうも「後期」という名前だと「後がない」イメージがある。前期・後期の2つに分ければ、その次はないわけだから、年寄りだって歳を取るのが楽しくない。「75歳以上は社会では必要ないのか!」と、クレームが出てもうなずける。

ここで、俺が提案しているのは、前期はそのまま、中期を75歳から90歳まで、90歳を超えてから初めて「後期高齢者」にすればいい。90歳にもなれば、言い方は悪いが、「なんでわしが後期高齢者なんだ!」って怒る人も少ないだろう。だってそうなんだから仕方ないよ。でも、その変わり、後期高齢者になれば「保険料はすべてタダ」にすればいい。

俺は決して老人保健制度が賛成なわけじゃない。無料でなく、金のある年寄りからはどんどん徴収するのは大賛成だ。でも、高齢者を支える仕組みとして、まずは当事者達が、歳を重ねることが「楽しい」と思わなければ、制度として素晴らしものとは言えないと思う。
たとえば、前期高齢者で仲間入りしたならば、そのあとは段階的に保険料を下げたり、75歳過ぎても「わしはまだ前期で」と、本人の体調に合わせて選択制にしても面白いかもしれない。「わしは90歳になるけど、登録は前期高齢者やで」ってな。

でも、いずれにしても、人生の荒波をくぐってきた方々だ。保険料なんて段階的に下げるのは当たり前のことだ。それまでお国の為に働いてきて、少ない年金から徴収するなんてとんでもない。歳を重ねることに旨味があるような制度にすべきだと思う。

歳をとれば医療にかかるには当たり前。せめて負担の軽減ぐらいはするのが当然だし、その為に若い世代から徴収するのは全然正しいやり方だと思う。でもその代わり、今ある知識・技術、人生の深さ・有難さなど、若い世代に発信できるような社会貢献をすればいい。その場を地域社会が作ればいい。そうしたチャンスを与えられるような夢の制度に代わって欲しいものだ。

100歳超えたら保険も税金も、JRも何もかもが全部タダ。そうすれば、生きる目標が生まれるかもしれんぜ。そうだ、100歳になったら100万。医療・福祉施設などからかき集めて、プレゼントするのがいいな。そういう人達のお蔭で、俺達の業が成り立っているのだから、それくらいやるのも当然ではないだろうか。

それにしても、75歳を過ぎたって、元気な爺さん婆さんはたくさんいるぜ。みのもんたじゃないけど、「人生これからよ」。俺的には、後期高齢者が政治のリーダーとなって、これからの日本の為に働いてくれた方が望ましい。もう欲望もないだろう、あとは名声をいかに残してあの世へ行くかだ。「パワフルな爺さん」が、多くの高齢者に共感と生きる勇気を与え、自らが犠牲となり、国民のために尽くすことを世に示すべきだろう。

後期高齢者という名前はよくないが、そう線引きをされてしまったからには、意地になってでも、「後期高齢者だからできること」を、社会も、そして我々も考える必要があると思う。
投稿日:2008/09/03 18:43:51