よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

福祉とはうんこである!

「福祉とはうんこである」

よく学生にこんな話をする。福祉なんて綺麗なもんじゃない。半端な気持ちでこの世界に入ると後悔するぞ、と戒めている。決して、福祉に携わる人間が、うんこみたいに汚い奴が多い、という意味ではない。まぁ、少しそれも当てはまる時もあるが・・。

福祉はうんこで始まり、うんこで終わる。うんこが触れないようなら立派な福祉人にとは言えないだろう。人間は生きてく上で大変なことは、「食べることと出すこと」。栄養摂取と排泄機能。高齢者になればその機能は必ず落ちていく。だから俺達の仕事があるのだ。

昔、施設にいたとき、向こうから背中を曲げたおばあちゃんが、両手に大事そうに何かを持って俺のところにきた。手の上にあるものをよく見たら、うんこ。それもきれいな形のうんこだ。

おばあちゃんは、俺に「これ・・大事なものだから・・、どこかにしまって欲しいんだけど・・」と、かぼそい声で言う。そして、俺に渡そうとする。

まさに、人生最大のピンチだった。相手は認知症、「そんなの持ってたらダメじゃない」なんて言えない。そのまま知らん顔して逃げてしまえば良かったけど、それも可哀想だ。俺の顔はひきつりながらも「わざわざ持ってきてくれたの?ありがとう。大切にしまっておくからね」と素手で譲り受けた。

「よかった、よかった・・」とつぶやきながらおばあちゃんは帰って行った。そのあと、何度も何度も石鹸つけて洗ったのは言うまでもない。

認知症のおばあちゃんにとって、それはうんこではある以上に、大事なものだ。排便して流すことを忘れたのか、何かと勘違いしているか、正しい答えはわからないけど、いずれにせよ、おばあちゃんは「大事なもの」として持ってきたことは変わりない。

そして、その大事なものを俺は託された。大事な物を誰かに託す時、快く受ければ安心するだろう。現にそれで事はうまく済んだわけだ。

だから、うんこという大事なものをどこにしまったいいかわからない。それって、とても人間的で動物的で、極めて自然の行動だと思うんだ。

福祉はうんこ、うんこは汚いものかも知れないけれど、生きてく上で誰もがしている。それは人に見せたくないし、事実そのものも隠したい恥ずかしいものだ。自分の排泄物を第3者に見せるほど、屈辱的なものはないだろう。でも、その行為を、人の助けがないとできない人にとって、排泄はよっぽど精神的に辛いことだと推測できる。

赤ちゃんのおむつを替える母親のように世話をすることは、やや語弊があるかもしれないが、優しく包み込むことが大事だろう。見てほしくないところを見るし、手伝って欲しくないことを手伝うのだから、「大丈夫、私に任せなさい」と安心させてあげることが最善の処遇だろう。うんちはあくまで、一つの媒体に過ぎず、それ以上に不安な心を、母のように優しく包み込むことが大事なんだ。

うんこは汚い、でも考え方を変えれば、人に見られたくない宝物。本来、その人だけしか知り得ない物を、俺達も知ることができるんだ。ある意味、幸福だと思わなければいけない。

そして、汚いうんこでも、その時、その状態によって、健康のバロメータという声なき声がたくさん詰まっている。だからこそ、大事にしなければならない。最終老廃物を直視することが、人間の世話を業としている俺達にとって、その人の信頼を得るためには絶対に必要不可欠なのである。

そもそも俺にとって「福祉とは」、とても清らかなもの。俺みたいな汚れた人間が関わることができない聖域みたいなものだった。俺も、「人のクソなんてみたくもない」と毛嫌いしていたし、だから働いている人は、天使みたいな綺麗な心をもった人間でないといけない、と自分の中でイメージしていたんだ。

でも、実際は、そんな天使みたいにきれいな人なんていやしない。それはもう、言葉では言い表わすことができないぐらい、私利私欲ばかりの汚い連中ばかりだ。でも、そうじゃないとやってられない仕事でもあるのだ。

精神障害者施設で、ある障害者の人が自分の部屋で、「弄便」うんちを壁に塗りたくった人がいた。さすがに匂いがきつくて後片付けが大変だった。それでも、きれいに掃除しながら、サッシの溝に入ったウンチを洗いながら、「へぇ〜、よくこんなところにいれたねぇ」「これは昔の土壁かな」とひきつりながら笑ったりもした。

つらい時は歌でも歌って笑い飛ばせばいい。
「赤いうんこに唇よせて〜♪、・・・
  うんこは何にも言わないけれど、
    うんこの気持ちはよくわかる。
     うんこかわいや、かわいやうんこ♪」

つまり、「うんこが汚い」と思っている奴に、本当の福祉なんてできやしない。最終老廃物を直視し、それを超越してこそ、本物になれるのだ。

もう一度言う、つまり、福祉はうんこであるのだ。
投稿日:2008/09/01 19:27:34