よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

長州男児の名にかけて!

「おじさん」。俺は自分の親父のことをこう呼んでいる。その理由は、昔から酔っ払って、あまり家に帰って来なかったから。もちろん、今は後期高齢者になり、片目しか見えないから、昔に比べれば元気はなくなったけど、相変わらずパワフルな親父だ。出身の山口県萩市から東京都の役人になり、定年退職後は天下り。知識も豊富で、人情に深く、飲めば語るし、女が大好きだ。おふくろは相当苦労させられたと思うが、俺にとっては、たった一人の尊敬する親父だ。

夜中タクシーのドアが閉まる「バタン」という音がする。小さい頃の俺達兄弟は、急いで部屋の電気を消すんだ。そして、すぐに布団の中に入って、息をひそめる。
しばらくすると、「おい、泰助、道助、起きろ!」と始まる。何とか寝たふりを続けるが、親父は決まって同じことを語る。「人生とはなんぞや」「それでも長州藩士の末裔か」「男は天下国家を取れ」・・・・、とまぁ、長いこと長いこと。その説教はしばらく続くんだ。

たまにお土産がある時は同情して聞いてあげてたけど、それ以外は半分知らん振りしていたよ。
でも、一度だけこんなことがあった。

いつものようにタクシーの閉まる音がした。息を潜める俺の部屋を入るなり、「おい道助・・・、お前も寝たふりが上手くなったな・・・。まぁ、いいや。ゆっくり休めよ!」
そう言って、そっとふすまを閉めた時があった。

その時は、なんか拍子抜けしたみたいだったけど、どことなく寂しくて、「何で寝たふりなんてしたんだろう。ちゃんと聞いてあげればよかったのに」って、自分を問い詰めたりもした。ふすまの向こうからこぼれる明かりを見ながら、親父に申し訳なくて、なんか涙が止まらなかったことがあった。

人は誰でも、話をしたい時があるし、聞いてほしい時がある。聞く側として、その門戸を塞ぐということは、もっとも相手に対して失礼なことだ。

大人になってからも、俺とおじさんはよく二人で飲んで、夜の町を歌いながら帰ったりした。家の前にある大きな木に、「栄養をあたえないといかん」と親子で小便をかけたりした。それを見たおふくろは、悲しんでいたけどな。
 
その親父の背中も、だんだん歳を重ねるうちに小さくなった。身体の弱いおふくろも、杖なしでは歩けなくなった。

「うちの親は不死身さ」

今でも、そう、自分に言い聞かせているが、いつしか「その時」が来るだろう。そんな両親に襲う老いの現実に、俺は逃げるようにこの仕事に没頭している。そのことで、やがてくる現実の恐怖をやわらげているんだ。

介護施設を利用する方も、明治生まれから大正生まれ、昭和前半というように変わってきている。いつしか、それが親の番になり、そして自分の番が来る。そんな時の流れに、生きることの虚しさを思う。

ここに関わっている利用者は、俺にとっては親同然の方々ばかりだ。家族ならまだしも、あくまで他人であるから、だからこそ、その「生」あるうちに何かを残してあげたいと思う。残り時間が限られている状況に、どのような喜びや感動を与えられるかが俺達に課せられた使命だと思っている。

「あの時、ちゃんと聞いてやれば」なんて、後悔しちゃ絶対によくない。親子の絆は、死んでからも引き継がれるかもしれないが、対利用者にはそんな猶予はない。親の恩は胸に押し殺し、俺は業としての立場を優先させなければいけないと思う。そして、その成果を、生あるうちに証明し、目に見える形で、「絆」を深める努力をしなければいけない。

公としての立場の俺は、長州男児の名にかけても、この福祉道を貫き通したいと思う。しかし、私としての立場の俺は、老いゆく両親も直視できない、本当に弱い男だ。

親父が、酔っ払って、うつろな目で熱く語る。「道弘よ。男は志を持ち、強く生きろ!」
そう言って俺の背中を力強く叩く。

それには親父の親、お爺ちゃんが親父の小さい頃に亡くなり、母1人子1人で戦後の貧しい生活に苦労した辛く悲しい思い出と、俺達を養っていく為に自分の夢を諦めざるを得なかった無念さと、「男として後悔のないように全力で生きろ」という、期待に満ちた、子を思う熱い親心が込められていると思う。

任せろや、オジサン!俺は長州藩士の末裔じゃけんよ!
  
「親思ふこころにまさる親ごころ、けふの音づれ何ときくらん」吉田松陰
投稿日:2008/09/01 19:27:20