よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

資格・職人、そんなもんいらねぇ!

福祉に関する資格なんてくだらない。つまらないし、銭出して取る必要もない。それは俺の持論だ。

俺は昔から、資格のコンプレックスは半端じゃなかった。土俵に登れないのが悔しくてたまらなかった。エロオヤジの医者、口の悪い看護婦、偉そうな介護士、いろんな奴を見てきたが、そいつらには資格があって、俺には何もなかった。どう見ても、「傲慢」としか言えない対応も、「資格あるなし」でここまで差別されるのかと、悔し涙を流したこともあった。

「福祉は資格じゃねぇ、心だ」と前から言っているが、ある先輩から、「自分が持ってないのに、そんな偉そうなこと言えないぞ」と、指摘を受けた。それから俺は、資格の鬼となり、大嫌いな勉強をして、福祉に関する資格は急いで取得した。

そして、「皆、こんなものあっても、意味がないぞ!」
ただそれだけが、言いたくて、その為だけに燃えたんだ。

福祉の資格は、看護師や理学療法士などの専門職とは全く別の、「なんちゃって資格」に過ぎず、「名称独占資格」と言われているが、そんな中途半端な言葉こそいらない。学生がよく、「私、看護師になる頭がないから介護福祉士になる」と云っているのをよく聞く。だから、いつまでたっても福祉の資格は成長しない。専門性を追求するならば、業務を独占できなければ資格の意味はなく、若者の憧れる資格でなければ成長はない。

社会福祉士、介護福祉士、ヘルパー等々色々な資格はあるけれど、全く自慢にも何にもならないと感じている。

資格を取得した集団は、決まって権利を主張する。団結して会費を徴収して、勉強会や食事会など組織化し、自分達の立場を確立していくものだ。先輩面する奴もいれば、自分達の私利私欲に走る奴らも当然いる。だから、資格社会というのが嫌いなんだ。

人の価値が「資格」で判断されてしまう世の中になり、生きづらくなった背景には、利権に絡む黒幕が必ずいることを忘れてはならないと思っている。

でも、たしかに、俺も小さいながらも経営者となり、技術を習得している人とまったくの素人では雇う側からすれば違いは明らかだ。1枚の履歴書と面接だけで、その人の人間性まで見抜くことは困難だ。

ある通所介護の施設で「介護職人」と宣伝している所がある。俺は、本当にすごいことだと思う。逆に「よく言えるなぁ」と関心しちゃう。時代の流れとはいえ、職人のやる介護って、一体どんなものだろうか少し疑問もある。

でも、俺達のスタンスは、福祉は誰でもできる。介護技術も少し学べば誰でも習得できる。資格がなくたって、職人じゃなくたっていい。大事なことは自然。自然に人を思いやる心が生まれ、自然に手を差し伸べられるかどうかだ。サービスとして専門性が必要ならば、それは表に出さず、うちに秘めて関わることこそ、利用者の尊厳を守る最低限のマナーではないだろうか。

俺達はフェアーで綺麗な福祉をしたい。資格や出世がステータスな福祉の現場に何の魅力も感じない。だから、いかに自然なケアができるかを常に模索する必要があるんだ。そして、その成果が、単なる仕事という枠を超えて、家族的集団になり、日常的介護へと進化していくものだと思う。

資格はあっても無駄ではない。取得のために苦しむことは決して間違いじゃない。でも、目的を見失わないで欲しい。名前や肩書で仕事をするんじゃない、出世を目指すために仕事をするんじゃない。それこそ利用者に対して失礼だ。

この福祉の仕事は、己の心を表現する純粋な仕事だということを忘れるな!
投稿日:2008/09/01 19:27:00