よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

家長の小言

介護の職とは、困っている人の生活を助ける仕事だ。だから、365日、昼夜問わず、そこにあの人の生活があるならば、俺達は動かなければいけない。そこにプロなんてない。技術や知識なんて必要ない。思いがあれば誰でもできる。手を指しのべることができる。それが正義だ。それが大義だ。
でも、悲しいかな、昨今のこの職に就く人間は、自分の権利ばかり主張しすぎると思う。金が欲しい?休みが欲しい?そりゃ、自分の生活が1番だ。この俺だって、綺麗事じゃ飯は喰えないことは重々承知している。人の生活より自分の生活の方が大切だ。そりゃそうだ。
その意味で、「福祉」なんてものは、偽善的な理想像でしかすぎないと思う。
俺は、そんな壁と常に闘ってきた。時にそれが正しいのだと自分を奮い立たせ、また、全てを失うまでどん底まで落ち込んだりした。理想と現実という重圧に、幾度となく押しつぶされてきた。それでも、今は、酒に逃げれるだけでも幸せなことなのかもしれない。
ただ、皆さんにはわかってもらいたい。この介護の仕事というのは、必ず犠牲が伴うものであり、その犠牲こそ、プロの証だと俺は信じている。そう自分に言い聞かせている。
「そうは言っても家長さぁ・・」、その通りだ。俺は自分で何を言っているのかわからなくなる。ただ、ちょっとでもいい。綺麗事と言われてもいい。そんな大義を忘れないでもらいたい。
自分を大切にしていい、家族を大切にすべきだ。でも、そんな日常の中で、ちょっとでもいいから、ここにいる利用者の生活のことを考えてほしい。「あの人は今どうしてるのか?」それだけでいい。自分達の日常の中に、ちょっとでもいいからそんな感情を胸に抱くことが大切であり、行動は伴わないにしろ、そう「思いやる」ことがプロだと思う。
デイサービスなんて、所詮昼間の8時間、残りの16時間は言い方悪いけど知ったこっちゃない。ただ、その8時間を、俺達がそんな思い胸に抱き続け、ちょっとでもいいから形にしたならば、魂を込めてその人と対峙したならば、その残りの時間は、きっと有意義になるだろう。美味いものを食べた時、舌に残る余韻がいつまでも続く。感動する音楽を聴いたとき、その余韻に己を照らし合わせ涙する。大げさかもしれないけれど、デイサービスとは、そうあるべきだと思う。
何が家族福祉だ?ふざけるな!俺もそう思う。主義主張を言うのは簡単だ。ただ、それを言えない人に対して、俺達はどう代弁するか。俺達が主役じゃない。困っている人が主役なんだ。それを貫くことが、正義であり、それは時に社会的に許さないことであったとしても、犯罪者になっても俺は構わない。アドボカシーではなく、アタマオカシ〜。それがこの仕事の美学だと思う。
ただ、そんな表裏をさ迷い歩きながら、壁に貼ってある亡き利用者の魂を思うと、儚く、切なく、虚しいものだ。つくづく介護の仕事なんてくだらないと感じる。
皆さんにはわかって頂きたい。家長として、俺は模範となれるような人間ではない。ただ、今、こうして関わってる40数名の利用者に対して、その生活をできる環境の中で精一杯守ってあげたいという思いは、誰よりも負けない。出征する兵士を送り出すように、もっと魂を込めて関わっていきたいし、その最前線で活躍されている皆さんには、心より敬意を送りたい。皆が輝くように、できることは何でもやっていきたい。
怯えてきた。顔色を見てきた。悩んだ時、辛い時、結局助けてくれたのは、利用者だった。言葉には出さない「有難う」だった。そこに、どんなものにも代えられない、この仕事の価値がある。その価値をわかってほしい。仕事の大義を忘れないで欲しい。福祉の神髄とは、己との葛藤なのかもしれない。
投稿日:2018/11/21 10:46:34