よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

情けがあるから福祉がある!

先日、親友と最高の酒を飲み、その後、新幹線のホームまで送ろうとした。俺達はベロベロだ。でも、東京発まで残り時間3分。ホームまで送りたいが、時間がない。駅員にお金を渡して、「すまん。急いでるで」と言うと、「切符を買ってください」と一蹴。いや、時間がないから頼むよと説明しても同じことを言うばかり。仕方なく券売機の列の末尾に並んで買うも、酔ってるし、急いでいるからうまく買えず、結局、他の駅員にお金を渡して、急いでホームへ行った。でも、その時は、出発した後だった。

改札へ戻った俺は、駅員を怒鳴り散らした。たしかに、ルールは守らないといけないのはわかる。でも、急いでいる時、その人をどうしても送りたいという時、人間の情があるだろう。仕事をしっかりすることは大切なことだが、人間は情けの中で生きている。そんなものがなくなり、まったく機械で動く世界なら、こんなくだらん世界はない。もっといえば、JRという大組織が、この人ならダメ、この人ならOKということが会社のコンプライアンス?か知らんが、疑わざるをえない。

たしかに、俺が絶対に悪いのはわかるんだ。なら、もっと早く出ればいいと思う。今では対応してくれた職員の人を申し訳なく思う。

この前、社会保険事務所の調査があった。「3か月間、給与が上がった状態なら、算定基礎届を出せ」と言われ、いくらか没収されることになった。お前らの不祥事は棚に上げ、毎月きっちり、むしろ強引に、あいつらの都合で徴収されているにも関わらず、こんな理不尽なやり方が頭にくる。

怒ってもどうなるわけでもない。たしかにそうなんだ。ルールはわかるんだ。お前らのやるべきこともわかるし、俺達が悪いのは100も承知なんだ。でも、こんな中小企業で、時給10円20円をどうにかしてあげる為に精一杯やっている。その管理も自分達で行い、コツコツやっているのに、そんな型にはまったことができるわけないだろ。この業界は人手不足、資金不足、お前らのルールに従ったら、時給で社会保険に加入する職員の動向を、逐一管理しないといけなくなる。そんな中小企業がどこにあるだろうか。それこそ、社会保険の半分は会社が払っているのだから、もっと経営者にわかりやすくする制度設計にすべきだと思う。「下がったらいつでも出してください」って、お前らのご都合主義じゃねぇか。

もっとも、さっきのJRもそうだけど、ずるする奴らがいるから問題なんだろうけどな。

俺の仕事は100パーセント情で動いているといっても過言ではない。最初は「なんだこいつ」って距離を置く。でも、関わればだんだん感情が移入する。俺はバイスティックだか、ナイススティックだかしらんが、あいつの考えは大嫌いだ。汚いし、怒れるし、ケンカもする。だからこそ、嫌だけど気になる。いつの間にか好きになっている自分がいる。そこが、AIにはない人間の魅力なんだ。。

俺達は生きる為に、ルールを作った。でも、それ以上に、人間は情によって支えられていきていると思うんだ。少なくても、これまでの日本はそんな情があった。

「あぁ、いいよ。いいよ」、そんな、余裕がないのが現実だ。

焼津に有名な魚屋がある。俺はそこでお祝いの時に、刺身盛り合わせをお願いして作ってももらう。とにかくすべてが最高の味だ。でも、それ以上に、作ってくれる方の熱い情が入っている。食べて泣ける、感動する。だから、迷惑とわかっていても、御礼をしたくなる。でもそれをすると、「これ持っていきな」ってさらにお返しをくれる。

それが、日本人としての情の社会なんだ。

俺はここ最近、「働き隊」という活動をしている。認知症の方々の活躍できる場を提供してもらい、報酬ももらう。でも、それ以上に嬉しいことは、「これ皆さんで食べてください」といった差し入れだ。お茶や飴玉、弁当にバナナ、本当に涙が出るほど嬉しかった。

情けは人の為ならず。たしかにそうかもしれない。でも、情けを忘れるような腐った人間にはなりたくない。むしろ、福祉とは情けがあるから持続しているといっても過言ではないんだ。そんな古臭い日本人としての魂があるからこそ、「ゆとり」があるんだ。

適度な曖昧さこそ、ゆとり社会に繋がると思う。

たしかに、ルールを守ることは大切なことだ。俺達は法の中で幸せを得てきた。でも、己が正しい道であると信じるならば、それは突き進むべきであるし、大儀として、世間体を考えたとして、少なくても目の前の人が喜んでくれるならば、時にそれを犯すことも必要な悪であると俺は思う。

もっとも、それを許してはいけないから秩序というものがあるんだろう。

「いいよ、いいよ」、そんなことが言える社会が、本当に美しいと思う。
とかく、この世は住みずらいわい。

でも、新幹線が出発したすぐ、俺達が階段をダッシュで走ったのを見れたよとメールで来たのが唯一の救いだった。

「思いは伝わる」。法に負けない、そんな社会ができたらいいのにな。

投稿日:2018/06/09 10:53:57