よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

スーダラ節、万歳じゃ!

俺が10代の頃、浅草で土方の仕事をした帰り道、先輩と飲んで帰るのに、本当は春日部で降りるはずが、ふっと目を覚ましたら栃木まで行っちゃったことが何度かあったっけ。もう夜中で電車ないし、金はないし、真冬でどうしようもなくてさ迷い歩いていたら、米研ぎ小屋があって、とにかく風をよけながら丸まって一夜を明かしたことがあったっけ。

あれから約30年。ついこの間、相良で飲み過ぎて、ふっと目が覚めたら、セブンイレブンのイートインの中。タクシーに乗ったはいいが、行先を酔っぱらって言えず、運転手さんも困って職場のそばのセブンイレブンで下ろしたようだ。いつもの知ってる場所でも、酔ってるから、ここがどこだかわからないし、タクシーに連絡しても、どこまで来て欲しいという指示ができないし、定員には絡むし、よく警察呼ばれなかったと思うな。

もう、このアル中は、何年経っても進歩がない。バカは死なきゃ治らないってこのこんだわ。

でも、俺はそれでも酒が好きだ。医者には怒られるけど、旨い酒を飲む為に頑張っていると言っても過言ではない。俺が福祉道を追い求めている背景には、勝利の美酒に酔いしれたいという願望がある。誰かの為に汗をかいた後は、自分へのご褒美。頑張った後で風呂上りに飲む一杯は本当に旨い!

酒は人が生きてる姿を、生きたいと思う姿を、生きねばならん姿を映し出す。

生きていく上で大切な「情緒」とは、喜び、怒り、悲しみ、恐怖、不安であり、「情緒力」とは、物の憐れや美しさに感動する力、他人の不幸を自分の不幸のように感じ取る力であり、まさに酒というのは、そうした想像力を生み、情緒力を鍛えることができると思う。10代から酒を飲み続けてきて、ここまで歩めたことは、その成果だと言ってもいい。そして、多くの方から支えられて、環境に恵まれていたことは、本当に有難いことだと思う。

「酔うたとて 熱き想い 忘れない ただ帰り道 忘れてる」

この歳になり、お蔭様で色々な人と出会いがあり、美味しい店に行く機会が増えた。本当にあの頃の店とは格段に違う。値段もさることながら、全てが美味い。それぞれの職人技に感動し、つい酒も進む。刺身も熟成させたり、加熱を調整したり、自然の究極の味にしたり、店主のこだわりも強く、本当に素晴らしい。昔、俺も喫茶店の店長をやっていたことがあったが、普通にレトロト食品とか出してたし、可愛い子にはサービスしてたもんね。そりゃ、潰れるわけだわ。

高級な店では柿右衛門?だか知らんが、器の一つひとつ何とか焼きとかあって、緊張して酔えやせん。そもそも、器を見てうっとりするほど、俺は芸術的センスを持ち合わせていないし、中身だけありゃ充分だという低レベルの人間だ。育ちが悪いというのは、一生消せないものなんだろう。

身分相応。所詮、俺には赤ちょうちんでワンカップがお似合いだぜ。

でも、ある程度の年齢になって必要になるのは、「高次の情緒」だ。つまり、文学、絵画、映画、芸術、ファッションなどを受ける感性そのものであり、これは生まれつき持っているものでなく、家庭教育、学校教育、独学、人生経験で養われるものだ。例えば、俺が絶海の孤島で生まれ育って、いきなり美術館に行っても何とも思わないだだろう。それは、子供の頃から少しずつ本物に触れ、教育によって学び、目が肥えていくことによって感性が鋭くなる。本や絵を見て心が揺れ動く、だから心から感動できる。「本物の大人」って、そういうものなんだろうな。

だから俺は、そんな高次の情緒が養われていない。
いや、たぶん、一生無理なのかもしれないな。

でも、俺は基本的には、飲食店は安い、早い、旨いが1番だと思う。高級ワイン片手にウンチクたれている奴なんで、後ろから蹴飛ばしたくなる。それに、居酒屋なんてのは、汚い親父が、もつ煮とか食べながら「ばかやろう」とかブツブツ言いながら飲んでいる姿が美しい。「このおっさん、やばいよなぁ」と思いながら、興味があって一緒に飲んで、「兄ちゃん、一杯飲めや!」って気が付けば肩組みながら飲んでたもんだ。俺の10代だった頃の上野の町は、まさにそんな模範的な大人の姿があった。でも、今、俺がオッサンとなり、そんなことしたら、若い奴は普通に逃げていくよな。いかにも病気一歩手前的なやばい親父は身を潜め、今ではお洒落な格好で、絶品料理に舌鼓、そんな自分に酔ってる奴ばかりだ。

タブレット1つでぼろ儲けしている奴に負けるのは悔しいが、俺は現場で汗水流して、汚い恰好で飲む酒が最高だと信じている。

うちは貧乏だったから、常に貧乏人の味方だ。高級の店、一元さんお断りなんて店は俺の敵なんだ。よくお袋が「贅沢は敵だ」って言ってたな。昔の人の教えって、本当に大切なんだよな。こんな贅沢な日本になったからこそ、この教えを後世に伝えるべきなんだよな。

俺の尊敬する人が言っていた。「どんなに美味い酒でも、喉が渇いた時の一杯の水より勝ものはない」「どんな高価な料理でも、お袋の握ってくれたおむすびの味に勝るものはない」贅沢をすれば幸福であるというのはまったく違うものであり、人間は贅沢をしなくても、常に幸福を求めて生きているものなんだと。本当にその通りだと思う。

たしかに美味い物を毎日喰ってたら病気になる。たまに金払って喰うから美味いんであって、「何を喰うか?」というより「誰と喰うか?」というのが大事なんだろう。

俺の場合、そこには、幼き頃から常に「家族」がいた。お袋が作ってくれた握り飯があった、卵焼きがあった。そこにささやかな幸せの形があったんだ。

ここ憩の家みちにおいても、そんな食を通して、たまに贅沢を楽しみながら、当たり前の幸福を噛み締めながら、過ごしてもらいたいと思う。俺達が目指す居場所とは、最高のおもてなしができる高級な店なんかじゃなくて、汚くても醜くても、常にそばにいる家族のような温かい場所でなければならないし、それが福祉の本来のあり方なんだと思う。

勘違いしたクソッタレ野郎ばかりの世の中じゃ、飲まんとやってられんわ〜。

とはいえ、最近の俺ときたら、饅頭片手に一升酒がやめられん。
「饅頭と、お酒は危険と 知りつつも テンション上がった 血糖値!」
投稿日:2017/12/24 11:09:14