よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

機能訓練では道は開かれんぞ!

うちは機能訓練指導員たるスタッフが3人いる。やろうと思えば機能訓練加算を取れるがやっていない。その理由は、結局は利用者の負担も増えるし、俺達は書類も増えるし、奴等からチェックされる箇所も増える。そうした負の部分とそれに見合った収入とでは割が合わないと俺は判断したし、これからもそのつもりだ。

昨年の未来投資会議という名の偉そうな連中からは、高齢者の自立支援を積極的な意向を表明し、今後は「機能訓練をしない事業所は減算する・・」なんて声が聞かれている。うちらみたいな、枯れ木同然の中小零細企業は、それこそ大打撃を受けることだろう。

まったく、賢い先生方っていうのは何言い出すかわからんから怖いな。

もちろん、機能訓練そのものを否定をするつもりはないが、公の馬鹿どもが、四角四面だけで、「健康寿命を延ばす」「介護予防の重要性」「介護度の軽減の為にも機能訓練を」という、今時の小学生でも言わないような教科書にでも載っていそうな綺麗事を平気な面して並べている始末だ。実にナンセンスでくだらないと思う。

機能訓練もリハビリも素晴らしいことだとは思う。でも、それはあくまで高度な専門性の元で行われるべきであり、だからこそ高い銭が動く世界なんだ。いくら専門職からの指導があるとはいえ、所詮、俺達のような素人人間に、それを押し付けることは恐ろしいことであり、逆に通所介護としての存在意義すらなくなってしまうのを危惧する。

俺達は困っている時に、必要な介護を提供することが指名であり、機能訓練なんて、2の次、3の次でいい。優先すべきは未来ではなく、今日、明日の生活を守ることにある。

たとえ機能訓練が功を奏して、介護度が1つ下がって喜ぶのは一体誰なんだろうか?うちに来ている利用者の中には、毎日限界と闘い、入所を待ちながら利用されている人も少なくない。介護度2だと入所ができないから、わざわざ再申請して3を目指す家族も多い。そんな中、俺達が頑張ってその人の身体機能が改善して、介護度が下がったとしたら、逆に迷惑がかかる。もちろん、本人の意識や家庭環境など、一長一短には言えないが、「中途半端な回復なら、余計なことをしないで欲しい」というのが、多くの介護者の声だと俺は思う。

立てない人が少しでも立てたり、少しでも歩くことができたなら、それは素晴らしいと思うし、やるべきではある。でも、ちょっと無理すれば年寄りなんて疲れがでるし、リスクも高くなる。そこへ、「あなたのことを思って機能の回復を」「目標に向かって頑張って」「健康寿命を延ばす為」「毎日継続することが大切」だとか、根拠ない下心丸見えの詐欺師ばかりが増えてしまい、本当にうんざりしている。

つまり、結局介護度が下がって喜んでいるのは、ちっぽけな権力を振りかざして、ちっぽけな銭をばら撒くことを渋りなら、偉そうな面して俺達の足元を見ている、ちょっぽけな役人だけなんだよ。やるならばぁ〜とやれ。渋るなら最初からやるな。「やらないと減算する」って、権力者の脅しそのものだぜ。

バカ野郎。俺はそんなもんに屈するわけがない。この握りしめた拳を堂々と下ろし、素直に土下座してや・・・、いや、上に挙げて戦ってやるよ。って駄目だなこりゃ。

ただ、俺は前から言っているように、年寄りが何十人も集まって、高額な訓練器具を使いながら、ヘッコラヘッコラやっている姿が好きじゃない。センスの悪い介護予防体操を、さも、これをやれば正しいみたいな誘導で、アホ面下げて笑いながらやることが大嫌いなんだ。

ここの自治体もライザップとかと供託して、高い公費を使って、介護予防、健康体操なんてやっている。はてさて、それで、どのぐらいの効果があるのか?たしかに、無駄とは言わない。でも、やりたければ、自分らで金だして、何とかメゾットとか個人で取り入れればいいことで、介護保険など公的なお金を使いながら、大きく変わるはずもない身体機能に希望を追い求めることに、介護保険制度や高齢者の自立支援の中身について矛盾を感じる。

そもそも保険とは、困った時に使うものじゃなかったのかよ。

もっと歩けよ。草取りでもしろよ。掃除でもしろよ。昔と違って情報もあるんだから、自分から色々と動けよ。もっと家族を巻き込んで、全員で努力しろよ。機能訓練に大切なことは、お金や人を投入することでなく、本人や家族の意識そのものを変えることであり、自己責任そのもであるべきだと思う。

つくづく思うけど、今の年寄りは本当に贅沢すぎる。甘やかしすぎる。こちらが色々とお膳立てしすぎる。いい意味で「ほっとく」ことも、優しさの1つだと俺は思う。

これからは、「ほっとく介護」、つまり「ホットケア」が合言葉でいいかもな。ちょい、今度論文提出してみっかよぉ・・。まぁ、大ブーイングだろうなぁ。

しかも、ここまで祖国の為に汗水流して頂いたのに、「訓練」ってのも失礼にも思う。それより、もっと、俺達が高齢者を敬うという意識向上の「訓練」こそ重要であり、もっと言えば、家族の「介護機能訓練」に力を注ぐべきような気がする。

俺は介護の原点は福祉であり、福祉とは困った人に、困った時にだけ、手を差し伸べるだけの存在でなければならず、通所介護で機能訓練をやることが主になってはいけないと思う。もちろん、在宅生活を維持継続する為に、最低限の生活リハの必要性は感じるが、それが目的化し、義務化し、結果すべて万々歳となるはずもない。通所介護とは、生活を支える介護であり続けるべきであり、毎日大変な人達と対峙し、介護をしている方のご意向も踏まないと絶対に成り立たない。利用者個人機能の回復に焦点を当てることは素晴らしいが、それよりも、俺達は人間である以上、数値にできない部分がたくさんあることを、訴え続ける必要があるのではないだろうか。

個人の身体機能の改善は大切な要素ではあるけれど、もっと、家族や社会という環境を巻き込んだ形で、さらに踏み込んだ「生活機能訓練」の確立する必要があると思う。

とはいえ、俺も経営者の端くれだ。そうやってお上からの指示に対して、いつまでも無視ができないのも現実だ。ただ、介護の魅力というのは、別れまでのその「過程」を楽しむ仕事であるにも関わらず、それがいつの間にか、「結果」を求められるようになった。無駄を楽しむ余裕がなくなり、すべてがデジタル化した価値によって、強弱に分かれていくだろう。介護職員にとって最も大切な動物的感性は、益々衰退するであろうし、このままではAI(人口知能)に勝てるはずもない。

変われない人間は生きていけない。悲しいかな、それが人類の無常な掟なのかもしれないな。

俺達は介護保険外でもボランティアで利用を受け入れている。食事代はもらうが、それ以外はふじのくに型福祉サービス(居場所)として、出来る限り対応するし、介護保険で飯を食べさせてもらっている罪に報いる為、社会的責任の基でそれを実行している。

正直、経営的には厳しいけれど、利用者も家族も、そして俺達もギリギリのところで踏ん張って、問題を共有して、目の前の課題をちょっとでも解決しようと努力している。言葉は悪いが、加算という「ちんけ」な旨味を求める暇はなく、日々を回転するだけで精一杯なんだ。

毎日が、訓練そのものなんだよ。

でも、残念ながら、多くの施設がお上の先導に身を委ね、経営主導主義に走ってしまう。そのレールを外れた時から、朝廷から反乱軍として見下され、激しいバッシングを受ける。まぁ、所詮、俺は、今も昔も落ちこぼれのまんまなんだよね。

俺はよく講演で学生にこんな話をする。福祉の仕事は「儲かる」と。でも、それはあくまでお金じゃない。もっとも大切な人と人との繋がりだ。「みちさんなら、何とかしてくれる」「困った時はみちへ行こう」。そうやって、俺達を信じてくれる人(信者)がいるということは、まさに儲かった証拠だと思う。だからこそ、俺達はその人の為に身体を張って頑張れる。応援が力の源となる。でも、他方、お上の鶴の一声により、魅力ある介護が急に息苦しくなって、「自由な介護」ができなくなるという悲しい現実がある。

でも、俺みたいに黒塗りのヴェルファイアに、「うるせぇな。早く乗れよ、この野郎」とか平気で言ってしまうほど、自由すぎる介護も問題あるけどな。近所の人が心配して「怖い人に連れて行かされた」って心配してたっけ。あの・・、一応、デイサービスですぅ。

俺は常に、介護や福祉というのは、ビジネスではいけないと思っている。ただ、収入がない、奉仕だけでは持続できないのも事実だ。いかに、そのバランスを取ることができるかが大切であり、その意味で、時代の流れに沿って、自分達も変わる努力はしなければならない。ただ、発展を放棄したこの男には、その方向転換へのかじ取りは難しい。

「枯れた木にいつまでも花は咲かない」。無常だが、それが自然なんだよね。

たしかに、もう俺の旬は過ぎた。異食の経歴を持つ福祉人として、一時はメディアに取り上げられたが、結局は嘘っぱちだというのがバレでしまった。自分がボロボロになることを想定しながら背伸びをし、歩みだしたレールに酒というオイル沁み込ませ、ただひたすらその道を歩むしかなかった。でも、ようやく、加齢に伴う体力の低下を感じることで、次第に「本物とは何か」という答えが見えてきた。大切にしなければいけないものの価値が、少しずつ理解できるようになってきた。俺達の存在意義とはどこにあるのか、ぼんやりではあるけれど、歩むべき道が見えてきた気がする。

この素晴らしい季節、収穫を迎えた黄金色の稲穂や澄み渡る秋の空を眺めると、つい空想の世界に逃げたくなる。今宵も日本の酒が美味いわい・・。

しかし、俺の場合、「肝機能訓練」「腎機能訓練」、「まともな人間になる訓練」・・、やるべき訓練は山ほどあるな。トホホ・・。

でも、今回、多くの方からお米のご寄付を頂いて、1つの部屋にも入りきれなかったので、急遽、スタッフの家の冷蔵保管庫を借りることになった。この米俵を運び出す時に、その重さに伝わってくる期待と責任を痛感しつつ、こんな枯れ木でも、誰かの役に立てるのであれば、そこに価値を見出したい。

クソッタレの介護業界、こんな馬鹿がいても、そんなに悪くはないだろう。
「枯れ木も山の賑わい」・・か・・。うるせぇ、ほっとけ(笑)
投稿日:2017/10/10 14:35:33