よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

「介護職の魅力?」そんなもんあるわけないやろ!

「介護の魅力?」、チェッ、バカバカしい。まぁ、俺も一応、それを発信する為の一躍を担っているわけではあるが、最近は、役人も同業者も、何もない介護の魅力を発信しようと躍起になっている。わずかな予算を投入して、若者を上手に取り込みながら、あの手この手でやっている。たしかに人手不足だから、その取り組み自体は間違ってはないと思うけど、あまりそれをやりすぎると恰好が悪い。センスが悪い。

俺は前から言っているように、介護の仕事は陰であるべき、表に立ってはいけないと思う。逆にいうと「ここが魅力ですよ」っていること自体、切羽詰まっている感じが世間からすれば丸わかりで、とても醜い行動に見える。福祉人材センターにも伝えたけど、マンガとかマスコットキャラとか、イケメンの男女を前に出したりする、安っぽい上辺だけの広報活動は控えた方がいいんじゃないかとは思うけれど、まぁ、それはあの衆の仕事だから仕方ないけどさ。

俺はこの世界に長年生きてきたが、はっきり言えることは、「介護の魅力なんてない」だ。もっと言えば、そこらのガキ共に、そんな魅力がすぐに「わかるはずがない」と思う。そんなもん期待されて入ってきたら迷惑千万だ。俺も頼まれて学生に話をすることはあるけれど、それだけは伝えている。そもそも自分の希望を求めて入ってくることが間違えであり、希望を与える側なんだということに気が付いてない馬鹿どもが多い。

「何を言ってるんすか?介護は利用者さんと触れ合うことで、感動が手に入るじゃないっすか!」と、平気な面して言える奴は、よほどの平和ボケした偽善者か、洗脳された可哀想な思想家だろう。

俺は性格がひねくれているからだけど、毎日毎日362日、介護の現場にいるから、テレビでもラジオでも、本でも、介護についてのことを、観たり聞いたり、読んだり書いたりすることが大嫌いだし、身体から拒否反応を示す。研修とか勉強会とか、大嫌いだし、そんな時間あるなら利用者と遊んでいる方がよっぽどいい。朝から晩まで200`運転して、毎日帰ったらクタクタだし、うちの利用者さんのことを考えているだけで精一杯なのに、これ以上、何を考えろっていうんだ。それに、この介護業界のポジティブさって、たまに面倒くさいという思いもある。

そもそも、介護なんて楽しいわけがない。魅力なんていくら言葉を並べても伝わるわけがない。ましてや自分の親でもない、赤の他人の汚い下の世話をする。言いたいことをいう爺さん婆さんも増え、家族や関係者には頭を下げ、書類や監査に追われ、心も身体も限界の中で闘っているわけだ。それが、「ここは楽しい職場だから、おいでよ」なんて、口が裂けても言えない。俺は、介護を目指す学生に「ハンパな気持ちなら止めな」と諭している。

俺は介護の仕事は嫌いだ。現場では肉体労働、上の奴は銭金ばかり、「福祉の為に」とか、わけのわからんことを口実に、裏ではきな臭いことをやっていることは、もう若者にもわかってきている。どいつもこいつも、自分達のことしか考えてない、利権だらけのクソッタレの世界だ。ここまで嫌な仕事はないと思うし、自分の子供には絶対させたくない。

もっとも、そこまで日本の介護レベルを落とした責任は、俺達にもあるだろう。

ただ、一つだけ。俺はこの介護の仕事は好きではないけれど、人は好きだ。困っている人を助けてあげたいという大義がある。ただ、こんなクソッタレの社会を生きるには、最低限の金は必要だ。綺麗事だけでは飯が喰えないのは現実としてはある。だから、やりたくないこともそれは我慢して、それは最低限もらう。ただ、何より大切な、大義がなくなれば、この介護の仕事を続けるつもりはない。どんなに揶揄されようが、目の前の利用者が困っていれば、俺はそこに手を差し伸べたいし、そこには、一点の曇りもない。ここを立ち上げた11年前に決意した、俺達に生きる道だからだ。

いや、本当は「人が好き」と自分で言い聞かせているだけなのかもしれないが・・。

介護とは、先の見えないトンネルだ。本人も家族も苦しい中で希望を見いだせずに生活をしている。そこで介護保険が始まり、いい部分はあったとは思うけれど、反面、俺達は職としながらも、バカみたいな専門家が表れて、人間的介護ができていない。上辺だけのビジネスとして付き合うことでしかできない、理屈馬鹿増えて本能で動こうとしない、上辺だけの魅力でしかを発見することができない奴が本当に増えたと思う。

俺もそうだけど、うちのスタッフは、一癖二癖あるやつばかりだ。俺も懺悔の思いでこの世界に入ったからこそ、どんなに辛くたって続けることができた。身体の刺青を見ればわかるけど、みんな遠回りしてきた奴等ばかりだけど、だからこそ、人の痛みや苦しみがわかるんだよ。だからこそ、もうひと踏ん張り、何とかやってやろうという情が芽生えてくる。「苦しいんだからさ、何とかやってやろうよ」と自分と照らし合わせて、手を差し伸べることができる。それが正義だ。誰かの評価じゃなく、自浄作用ができる、それが介護の魅力なんだと思う。

俺の兄貴は真言宗の坊主で、頻繁に高野山など方々に修行にいっている。昼夜問わず、飲食を断ち、弘法大師と共に、ただひたすら山道を歩き、お経を唱えることで仏様へ教えを請い、日々の訪れに感謝しながら生きる。その中で、己の弱さを知り、何を成すべきかの悟りを開く。俺の考えはちょっと違うかもしれないけれど、介護の魅力って、それに似ているような気がする。

毎日毎日、俺も思うようにならないことがたくさんある。利用者にここまでやっているのにと、見返りを求めている嫌らしい自分がいる。本音と建前の狭間でもがき苦しむ自分がいる。でも、そうしたもたついている中で、次から次へと旅立つ人、そして困っている人がやってくる。そんな限界の境界線を行き来しているからこそ、利用者さんが、ふっと言ってくれた「ありがとう」の言葉に感動する。救われる。それまで抜けきれなかった長いトンネルから、ほんの微かな光が見えたような気がする。そこに新たな自分を見出し、そしてまた歩んでいこうと決意、再生していく。

本当に弱い人を目撃し、多くの死を目の当たりにし、生きることの過酷さを痛感する。そこからみんなで力を合わせて、生きる為に努力する。たとえそれば無駄になったとしても、そんな経験からこの腐れ切った心は、次第に浄化され、少しずつそこで俺達は成長できる。

この仕事は常に出会いと別れの繰り返しだ。お前らの考えるようなビジネスじゃない、人間と人間との最後の橋渡しができる有難い職だと思う。だから、俺達は亡くなるギリギリまで世話をするし、旅立ちはしっかりと見送る。「あの時は、うちの親が本当にお世話になりました」と、今でも家族から感謝の言葉を述べてくれる。それって、本当に幸せなことなんだと思う。亡くなった後も、そうして言われる仕事は本当にないと思うし、次世代までそうした感謝の思いを語り続けてくれることに、この仕事の誇りと責任を痛感する。

介護とは生きることだ。生きることを支えることだ。たとえ「業」であれ、「金」であれ、俺達はその過酷な日々の修行の中から、感動を得られることは事実であり、自分の弱さを知ることができることは確かだと思う。まかりなりにも俺達は介護のプロだ。だったら、そうした日本の介護福祉の素晴らしい原点を、上辺だけでなく、もっと後世に伝えるべきことのように思える。

介護の魅力とは、命を学ぶことができることであり、それがこの仕事の真髄だと思う。

とはいえ、俺も年齢と共に、そんな神通力は明らかに落ちた。修行が足りないせいで酒に逃げ、内臓が完全に悲鳴を上げている。人の心配するより、自分の心配事が増えてきたのは、仕方がないよなぁ・・。

だから、若者の皆さん!介護の仕事って、すご〜く楽しいですよぉ〜。皆で集まれっ〜って、なんじゃそりゃ。


投稿日:2017/06/16 11:01:05