よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

人生に勝ち負けはないだってよ。

「人生に勝ち負けなんてない」とスポーツ紙に載っていた。別にSMAPの解散なんて俺にとってはどうでもいいし、何やらタモリがSMAP宛てた手紙だったらしいけど、あの人ぐらいの超越した人のコメントならば、たしかに納得ができる。

ただ、何となく、少しだけその言葉に違和感があったんだ。それって、「勝っている人だから、そう言えるんだよな」ってさ。10代の頃、俺は上野のホームレスの人達とよくお酒を飲んだけど、『こうなっちゃダメだよ』って、よく教えてくれたもんだ。その人達に同じことを聞いても、きっと同じことを言うと思う。

たしかに、何が勝ち負けなのかという「ものさし」にもよるだろう。それがお金か物か、地位や権力、それとも学歴なのか。でも、俺達はいつしか、そんな目に見えるものばかりを追い求めてしまい、大切な何かを忘れてしまいつつあるような気がする。

でも、悲しいかな、俺達はそれができない。そう思えない。だから、勝ちたいし、負けたくない。周りを羨ましく思うし、妬む、比べる惨めな心が存在している。異国の新たなリーダーの台頭により、これからその差がはっきりするだろうし、資本主義である以上、ある程度は仕方ないことだと思う。

別に石垣島でマリファナでも育ててナチュラリストという肩書で暮らしたいというわけではないけれど、昨今の日本のビジネスマンとやらは、どうもそんな物欲が顕著に表れ過ぎており、どいつもこいつもそんな流れに踊らされているような気がしてならない。

それに、俺は自分で負け組だと思っているし、そのひがみ根性が、これまでの自分を奮い立たせたということも事実だ。

でも、この年齢になって、たしかに、それにこだわる必要性はないのでは?と思えるようになってきた。勝ち負けにこだわらないという逃げ道を恣意的に作ることで、気持ちがすごく楽になった。弱い自分を追い詰めて、苦しいことは今でもあるけれど、結局は「俺達は俺達だよ」って、整理ができる術を学んだ。それを求めすぎると醜くなるということもわかってきた。

ただ、単に、争うことを放棄しただけなんだけど、その労力に見合った成果が、実に小さいもののように思えてくるという、一種の老化現象であると思う。

とはいえ、俺だって勝負にこだわる自分がいる。たとえ否定しても、それが俺を追い詰める。これでも経営者の端くれだ。それは常に付きまとっている。綺麗事では飯が喰えない。「お人好しだけじゃ、生きていけないよ」と、お袋から口すっぱく言われたもんだけど、本当にその通りだと思う。

俺は、金持ちが羨ましいと思う。でも、金持ちが勝者でいいのか?それではあまりにもむなしすぎる。負け惜しみだけど、たとえ無理してでも、「そんなものより大事なものがある」って強がっていきていたい。

それに、金はあるにこしたことはないけど、それがイコール幸せとは言えない。俺はここ何年も色々な家族を見てきたけど、たとえ貧しい暮らしの中でも、働きながら懸命に在宅介護をして、幸せに看取った家族。一方、裕福な暮らしをしていても、子や孫から虐げられ、我慢に我慢を重ね、こんなくだらないデイに一瞬の助けを求めてくる人も多く見てきた。金や権力を行使し、誰よりも優先に入所する汚い奴等も多く存在している。

俺は常にパンクの精神がある。そんな権力者との闘いは、これからも続けていきたいと思う。

今の中東情勢なんて、爆弾やテロで大切な子供が犠牲になり、それを親族は悲しみを超えた憎しみで悲劇を繰り返そうとしている。そんな復讐に燃やす思いというのは、俺達の想像を遥かに超えていた。ただ、きっと昔の日本だって、富国強兵で闘い続け、勝ち続け、今でも尾を引きずるほどの負けの苦しみを味わっているわけだ。

つまり、今のこの日本は、「人生勝ち負けじゃないよ」って平気な面して言えるほど、平和な世の中になったという証拠なんだろう。

負けては絶対にダメだ。勝たなければ意味がない。ただ、それ以上の人としての心理を俺達は求めていかなければいけないと思う。無謀とはいえ、それを模索していかなければ、また破滅の道へと進むような気がする。

まぁ、俺がそんな世界情勢を語れるような人間ではないが、でも、せめて、長年がんばって生きてきて、働いてきて、耐えてきた先人達に対して、せめて、死ぬまぎわ位には、『この人生で、良かったよ』と多くの人に感じてもらいたい。子供の未来を安心して見送ることができるように、安らかに旅立って欲しいと思う。

そして、俺達福祉人は、そんな人を増やすことが、まさに俺達でいう「勝ち」であり、俺達の「価値」を高めることに繋がる。もっと言えば、俺達は、「負けた」と思うような後悔な人生を歩む人を、1人でも少なくすること。それがすべてのような気がする。

そういえば、親父がよく北千住のスナックで「我が人生は、悔いだらけ〜♪」って歌ってたっけなぁ。

こんなビジネス化したクソッタレの介護業界にも、そんな資本主義の波が押し寄せている。いや、もうとっくに染まっていると言ってもいい。ただ、忘れてはいけないことは、俺達は単なるビジネスマンで終わるのではなく、「職人」となるべきなんだ。その意味で、勝者になる可能性は低いかもしれない。でも、それまで切磋琢磨し、たとえ時代遅れと罵られようが、そうした生き様を見せつけてやること。たとえ朽ち果てたとしても、最後まで戦うこと。結果、あちら側にとっての敗者になろうとも、俺達にとって、福祉魂を守るという「勝者」であればそれでいいんだ。

勝ち負けよりも大切なポリシーを、職人とし俺達は貫きとおすべきだと思う。

人生に勝ち負けがあるかないかわからないけど、そんな己の生き様には、己の判断において、いつまでも勝ち負けであれ、満足や後悔の念であれ、いつまでも、ついて回るもののような気がする。だから、俺達は、そんな大切なことに命を張れる、田舎侍でありたいと願う。

でも、この前、悪玉コレステロールが高いと言われて、DHAのサプリを飲んだら、今度は胃に激痛が走り、薬も飲めなかったから今度は尿酸が高いと言われて先生に怒られた。ちょいちょい、自分の内臓に負けっぱなしですわ。
投稿日:2017/01/09 13:05:46