よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

人生初のプレゼンを終えて。

2月16日、ふじのくに型福祉サービスのプレゼンが無事終わった。約一か月前に行われた有識者会議、そこで県幹部連中と偉い方々に、足腰立てなくなるまで色々言われて、人間性を否定され、その時は本気で頭にきた。

でも、あれから一か月、いつまでのアンチ役人だけではだめだと思い、自分を変える努力をしてきた。まぁ、そんな簡単に変わるもんじゃないけどよ。当日は、いつものチョウラン、ボンタン、リーゼントで行く予定だったけど、本番数日前、遠回しに役場の方から圧力?いや、意見があり、仕方なくスーツで行った。

スーツを買うなんで何十年ぶりだったし、なんか恥ずかしかったっけ。俺がスーツを着ると、どうみても夜の両替町にいる人みたいになるから嫌いなんだよね。しかも、昔みたいにゆったり目のダブルのスーツがなく、全部、タイツみたいにビシッとしたものばかり。それに、頑張って名刺もちゃんと作ってみた。まぁ、ちゃんととは言えないかも知れないけど、かなりインパクトはあると思う。県や役場の方も気にかけてくれ、「あの人と名刺交換した方がいいよ」といってくれたけど、俺は面倒だから、ほとんどやらなかったっけ。

まぁ、結局、人生初のプレゼンは、別に可もなく不可もなく、平凡に終わった。でも、何人かの知り合いからは、お世辞かもしれないけど、お褒めの言葉を頂いた。何より、1番うれしかったのは、終了後、「石津よくやったな」と、褒めてくれた、県健康長寿局長の高橋さんだった。本当に涙がでるほどうれしかった。

この一か月、「石津はまず内面から変えろ」と罵られて、思い出すだけで悔しい思いをした。だから、俺はあいつらに復讐するが如く、なんとか今回のプレゼンを、アッと言わしたかった。見返してやろう。その為だけに、俺は今まで走り続けてきた。

俺の親父が東京都の役人であり、コネを使った採用試験も落ちた俺。今までアンチ役人として生きてきた。でも、結局勝てるわけがないのもわかっていた。でも、敵だと思っていた人が、本当はそうじゃなかったんだいうことが、初めて気が付いた。局長や課長、班長が、あの時は本当に冷たかったけど、この努力を認めてくれて、褒めてくれて、本当によかったと思う。「あいつは、こういえばやるだろう」って、単純な俺の心がとっくに読まれていたんだね。やっぱり、頭のいい人は違うわ。

生まれて初めてのプレゼンが終わった日の夜、俺はとにかく一人で飲みたかった。偉い人に誘われたけど、なんか一人でとことんまで飲みたくて、行きつけの飲み屋で一升酒。泥酔。記憶なし。結局、10年以上通った店も、出入り禁止になるほど、やらかしてしまったけどな。

前の日、俺はほとんど寝てなかったから、体調も悪かった。本来なら、とりあえず終わったという達成感と充実感に浸りたかったけど、終わってみるとそうじゃない。これからどうしていくか、あの人達の前で偉そうなタンカを再度切ってしまったという重圧感の方がどっと押し寄せて、俺はそれに逃げるが如く、酒に溺れてしまった。

俺の病気、「お前何様だよ」って、もう一人の俺が俺をとことんまで追い詰める。それが本当に辛い。

ふじのくに型福祉サービス。たしかに、それは大事なことだと思う。でも、あのようなプレゼンで恰好がついたのは、それは県と県社協がバックについていたからであって、それは俺達の力ではない。それが終われば、いつものように、俺達は独りぼっちのものなんだ。市も市社協も、こちらが動かなければ知らぬふり、それは俺も重々承知の助だ。

だからこそ、そんな重圧に押しつぶされないように、俺も変えていかなければならない。いつまでの逃げてばかりではいられない。やりたくないこともやらないといけないし、嫌いな奴とも対峙しなければいけない。酒に溺れるのも、もういい歳だからそろそろ卒業やな。社会常識がない俺が、それを身体の一部として取り入れなければならないという、永久的、かつ直面した問題ができてしまった。

今度、牧之原にアパートを借りることになったが、これも一つのいいきっかけ。もう一度、この道を見つめなおす、いい機会になったと思う。

ただ、俺はこのくそったれの業界に未練もヘチマもない。成り上がってやろうと思わないし、生き残りたいとも思わない。いつ潰れても後悔はない。だから、やるべきことはやって華々しく散ることが武士だろうし、それも出来ずにただの恥っさらしだけはなりたくない。

俺は局長に対して、あれだけの暴言を吐いた。本来ならば、斬首刑だ。でも、それを「石津頑張れよ」と、肩を後押してくれた方々に、人間の度量を感じ、その人の力に慣れるなら何でもやってやろうと心から思う。まず、俺達がやるべきことは、このふじのくに型福祉サービスを、ちょっとでも前に進めていき、一人でも多くの方に周知させていくこと、それで救われる人が一人でも増えることが、唯一、その罪滅ぼしとなるだろう。

「この道はみんなの居場所だ」って言っていた俺、でも、今までの俺の居場所は飲み屋だった。そんな奴のところに人は集まるわけがない。ちょうどいい。俺の旬もとっくに過ぎた。だから、もうひと踏ん張り、多くの人の居場所が俺の居場所と一致できるように、自分を律していこうと思う。今まで散々反抗して生きてきたから、そろそろ先輩のご指摘も踏まえないと、ただの馬鹿で終わっちまうしな。

でも、俺がスーツを職場で着こんでると、スタッフが、「あれ?家長、就職活動ですか?」って・・。ちょいちょい、俺を何だと思っているのやら・・。

投稿日:2016/02/20 14:43:41