よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

我がパンク魂、ここにあり。

俺がパンクロックに目覚めたのは15歳の頃。あれから35歳まで、長い間バンド活動をやってきた。もう、さすがに今は聴くだけでやってはないけど、今でもやっぱりパンクスピリッツは根付いている。でも、この前、10年ぶりにライブに行って暴れ狂ったけど、さすがに息が続かなかったな。飲んで騒ぐもんじゃないって、昔の仲間からすれば信じられないと思うけど、曲の合間に罵声を浴びせる余裕もなく、マジで呼吸を整えるだけで精一杯だったっけ。

俺は昔から権力者が嫌いだった。政治家も嫌いだった。金持ちも嫌いだった。もっと言えば、アメリカ主導の資本主義社会も嫌いだった。俺には常にパンク魂があり、あいつらにわからなくて結構。犯罪者でも結構。腐りきったあいつらをぶち壊したかった。そのことで、自分を表現していたんだ。反社会行動こそ己のエネルギーの源だった。ロックンロールこそ、俺のビタミンだった。クーデターを起こしたかった。テロリストになりたかった。弱いくせに、ただ強がっていた。ただ単に、あいつらに負けたくなかった。それだけだった。

でも、俺ももう少しで44歳。本当に歳をとった。さすがに、我ながら世間に反抗抵抗悪態だらけじゃ、ただの馬鹿なんだって、最近ようやく気が付くようになった。もっとも、遅すぎるけどな・・。

昔から俺は、「あちら側の人間」「こちら側の人間」と区別して生きてきた。常に敵をつくることで存在価値を高めてきた。もっとも、鼻からあいつらには相手にされてなかったんだろうけどな。

先日、県庁職員10数名の前で、プレゼンをすることになった。結果はご想像の通り、本当に散々だった。40歳も過ぎたおっさんが、皆の前に立たされて、みっともない面して説教くらったっけ。「石津君は、まず内面から直しなさいって」。本当に恥ずかしかったな。

たしかに、一緒に行った関係者の奴らはみんなネクタイをして、スーツ着て、偽りの笑顔を振りまいて名刺交換をしているわけだ。ところが、俺ときたら、いつものようにジャージ、よっちゃん履き、名刺なんて持ってないし、ペコペコ頭下げるのも嫌いだから椅子に座って踏ん反り返っていた。身なり、言葉遣いは最悪、礼儀知らずのおっさんが来たと思って、鼻からあいつらは眼中になかったんだろう。矢面に立たされた俺は、奴らの恰好の餌食になった。

結局、俺は「あいつらと違う」ということを態度で表現して、実は一方で、こんな自分を認めてほしいというスケベ根性をだしてきたわけだ。それがお見通し。本当にみっともなかった。

それでも、最期の挨拶で、吐き捨てるようにやつらに言ってやった。「俺はこういう場で話すのが苦手だったけど、今の俺は完全に頭に来ているから、絶対に皆さんを実践で見返してやろうと思いますので、そこんとこ、よろしくお願いします」ってさ。

ハッタリもここまで来ると重症やな。

でも、そのあと局長さんや課長さんらが挨拶に来てくれて、期待しているからあえて指摘してくれているのだと理解し、あの時の行動をものすごく恥じたな。何故ならあの時点で俺は完敗だったんだ。だめなのは自分が一番わかっていて、突っ張らかって、押し潰されて、あくまで非常識というレッテルを貼られて、土俵にすら登れなかった。そこらのガキならまだしも、言いおっさんが、恥ずかしい限りだ。

さすがに、俺もいい歳だから、やっぱりそれなりにあちら側の意見も取り入れていかないと、生きていくことができないんだなって、つくづく感じた。だから、急いで名刺を作ったっけ。(そもそも、会社設立して10年も経って、まともに名刺がない時点でダメだけどな)。だから、仕方ないけど、たまにはそれなりの格好して、つまらん相手にも頭を下げないといけないんだよな。

女に頭を下げるのは慣れてんだけどな・・。

でもさ、自分を偽るのが、何より辛いよな。今まで、極端な話、あまり我慢した経験もないし、伸び伸び自由人でやってきたこのおっさんが、急に、生き方を変える、内面を変えるって、本当に修正するのが難しいと思う。

でも、変えないといけない。それが今、俺が不足している所だと思うから、無理してでも、完全でなくても、修正しざるを得ない。だって、そうしないと困るのは、俺ではなく、俺の周りの人間。結局不利益を被るのは、うちのスタッフや利用者さんであるから、強がることはいいけれど、それなりに、あちら側の言いなりになるしかないと今では思っている。

ただ、俺はこちら側の人間だ。あいつらにできないことをやってやろうと思う。ニューミュージックの馬鹿どもにはわかるはずもない。あくまで俺らしく、パンク魂を福祉の舞台で思いっきり表現してやりたい。ボランティアの意義を追求し、家族愛を広めていってやりたい。家族愛を守るための応援団として君臨したい。途中潰れて奴らに、「やっぱりな」って笑われても、てめえさえ満足できりゃ、それでいいんだよ。

テロリスト?いや、俺は単なるスケベなオナニストだ。

でも、そこに誰かを幸せにしたいという負けない大義名分があるなら、そこにかける価値があるということ。それだけは、誰にも譲れない、自分らしい表現の仕方なんだ。

俺は先生と呼ばれる仕事が嫌いだった。でも高校の講師を何年か経験し、講演にいけば、全身に湿疹ができるほどの拒否反応を受けながら、周りは先生とお膳立てしてくれる。でも、そもそも、こんな馬鹿が先生といわれるような、こんなくだらない介護業界が問題なんだとつくづく思う。でも、俺はこんなくだらない介護業界のお蔭で、ここまで中途半端に成り上がることができ、場面場面で「あちら側」の人間にもなれ、かろうじて「こちら側」の人間を維持しようと努力している、単なる普通の人間だったということに、ようやく気がつくことになったんだ。今では心から感謝している。

俺も来年で45歳。まだ答えはよくわからないけど、結局はあちら側もこちら側も同じなんだって、ようやくわかってきた気がする。どんな世界も同じ、表裏一体。それが、遠回りばかりしてきた中で学べたことなのかな?いや、とはいえ、俺はいつまでも「あちら側の人間にはならねぇよ」ってタンカ切ってやるよ。

何?強がっているんじゃねぇ?うるせぇ、弱いからこそ強がるんだ。文句あるか。

まぁ、たしかに、年齢のせいにはしたくないけど、本当に体力面、精神面で衰えを感じるな。攻撃ばかりしていたあの頃より、防御するほうが多くなった。発展するより維持することを選ぶことが増えた。「気持ちじゃ負けてねぇ」って言っても、悲しいかな、幼子の顔を見れば自然と目がたれてくるし、角が丸くなってくるし、他方、このままじゃダメじゃんと、日々葛藤する自分がそこにいるんだよな。

俺の人生は「拒否」と「選択」の繰り返しだったけど、決して次世代に自慢できるような経験を積んだとは言えない。遠い未来を語ることより、目の前のことをこなし、過去に思いを馳せることが増えている自分がいる。最近、酒を飲みすぎると、諸行無常の奥深さに、なぜか涙がこぼれてくる。

所詮、俺のパンク魂なんて、そんな中途半端なものなんだと思う。情けねぇことだわな。ただ、残り限られた時間、俺は今こそ原点に立ち、「福祉」を実践したい。そこらのサービスボケした野郎とは一線を画し、本当に困っている人の為に、自分らでできる最大限のことはやってやりたい。損得じゃねぇ、助けを求めれば行く、家族愛を守り続けるために応援する、それが俺達らしいパンク魂であるし、福祉人としての生き方なんだと信じている。

そう、いつまで続くかわからんけど、俺なりの解釈で、老いの現実と対話しながら、この道を歩んでいきたい。それが悔やんだ過去に対する、せめてもの償いなんだよね。

しかし、まぁ、Tポイントを業界初導入して、全身タイツでテレビに映って、しっかり録画している自分。ちょいちょい、完全にあちら側の人間だぜ。
ダメだこりゃ。
投稿日:2015/12/18 11:01:35