よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

貧乏でいいのだ!

「先生!先生は負け組だよ」と、学生に言われたことがある。年収、独身、車、身なり、トータル的に、16歳の高校生は俺を負け組と判断したようだ。正直、少し落ちこんだ。

「この世の中を動かしているのは金だ。金がない者は金のある者の指示に従わなければならない。この世の中で生きるからには、この掟に従うしかない」。

 
たしかにそうかもしれない。でも、それだけじゃ、あまりにも悔し過ぎる。俺には常に「貧乏魂」みたいなものがあり、金持ちに媚を売って生活しようなんてこれっぽっちも思ったことはない。まぁ、くれるなら、もらうけど・・。
 
小学校の頃、おふくろは近くの小さい内職工場で働いていた。そして、俺はよく、学校が終わったらそこに行って遊んで待っていたんだ。そして、仕事が終わった帰り道、近くの喫茶店で、えびピラフをご馳走してくれるのが、何より楽しみだった。たまに、クリームソーダも食べさせてくれ、最後にさくらんぼでしめるのが何より幸福だった。

こんな話をすれば、お金持ちの人は笑うかもしれない。でも、俺は貧乏人で育ったからこそ、お金の有難味がわかるし、そんな小さな感動が味わえるのだと思う。夕暮れ時、いつもの喫茶店の窓際で食べたえびピラフの味。最後のさくらんぼを、何度も口に入れたり出したりしてふやけるまで楽しむ。それは、貧乏で育った経験からできた、「ささやかな喜び」を得るために学んだ高等技術だと思っている。

たしかに、金持ちが羨ましいと思う。一度でいいから、金に困らない生活というものをしてみたいと思う。でもよ、「金持ちと灰吹は溜まるほどきたない」というから、金なんて少しあればいい。たくさんあればいやしくもなるし、揉めるもとだからな。贅沢は敵だって、自分自身に呪文をかけていたら、いつしか貧乏人の味方になっていたよ。

この介護業界にもビジネスチャンスと睨んで参入してくる企業も多く、金持ちだけ優遇されるサービスも多くなってきている。金を出せば一流の介護が受けられて、最高級の場所で最高級の御馳走を食べられて、生涯優雅に過ごすことができる所もあるようだ。

ふ〜ん。いいじゃない、それはそれで。

所詮、俺は貧乏人の味方。困っている人の味方。「お金だけ出せば最高の介護を提供します」なんて、所詮、俺の敵だ。「入居一時金何千万」「終末期まで手厚い介護」なんて宣伝している施設なんて、人の不安を逆手にとる、汚い保険会社となんら変わらない。それに介護を食い物にしているヤラシイ魂胆が好きじゃない。でも、肝心要の社会福祉法人が企業化し、利益追求組織になっている現実も否めない。

俺は、福祉とは貧乏人の為にある、セーフティーネットでいいと思っている。お金もなく、支えてくれる人もなく、そんな困っている人の為に俺達が貢献することに存在価値がある。それに、金儲けでやっている介護なんかには、絶対に負けない。物事の全てを銭勘定で計ることはできないし、この福祉にあっては、相互扶助という人間の心に無限の価値があるからだ。苦しむ人に心から共感し、福祉は弱者の味方であることを伝える必要がある。

「福祉人は金持ちになれないけど、人持ちにはなれる」

そんな教えが、俺の心に根付いている。綺麗ごとと揶揄されるかもしれないが、貧乏から些細な感動を覚え、辛抱してこそ幸福への入口が見え、そうした苦しみを見つめることこそ、福祉は弱者の味方であることを証明するものだ。

とはいえ、昨年の年収が170万。その前の年は80万。考えれば倍の成長率だけど、さすがに、このままじゃ、マズイな。そろそろ、自分を慰めるのは止めて、早く、貧乏の美学から脱出しないといかんよなぁ・・。
投稿日:2008/09/01 19:26:26