よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

未来が見えないダメ経営者じゃ。


今度、俺の知り合いの飲食店経営者が、新しい店を出すとのことで静岡に様子を見に行ってきた。それは別にいいんだけど、あの中途半端な都会面した連中はダメだな。俺も思わず注意したくなったけど、老若男女問わず、平気な面して信号無視をしてるからな。特に自転車。そりゃ、急いでいるのはわかるけどよ、地球のスピードは変わらないんやし、それに、あいつら、子供にどういう教育をしてるだか不安になるよ。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」って感じだな。

まぁ、俺の住んでいるところは田舎だから、信号そのものがないし、関係ないけどね。でも、本当に今の世の中、子供を評論する前に、大人のお前ら(もちろん俺も含めて)がしっかりしないとダメだなって思う。

最近特に、教育の大切さを痛切に感じる。うちの親は有難いことに、教育の機会をたくさん与えてくれた。でも、結果的にそれを生かしきれなかったことは申し訳ないと思う。だから、ここの憩の家みちも、俺が経営者だけど、スタッフに対して、何も教育なんてできやしない。むしろ、俺の方がスタッフから教えられて、怒られて、謝っているいるぐらいだ。

先日なんて、午後、休みが欲しかったから、皆、一人ひとりに「ごめんね」って謝りまくったもんな。こんな指導力のなさ、職員教育ができない経営者もダメだよな。まぁ、俺はそれでいいと開き直っているけどよ。

でも、俺の知り合いのやつじゃないけど、新しい店舗を出すなんて本当に羨ましいと思う。よくそこまで社員を教育できて、そこの本店の分身を作ったと思う。それには人知れず苦労があったと思うが、本当に尊敬に値する。もっとも、そいつが本店の味と同等か、それ以上のものを作って初めて成功と言えるのだろうけどな。

とはいえ、俺も落ちこぼれの経営者だ。うちのスタッフを育てたいと思うし、2店舗目を出したいという野望があったことは事実だ。でも、今はあまりそんな思いもない。だって、そこまで俺の強いリーダーシップもないし、スタッフに対する教育も出来てないし、それにここと同じサービスができるかといえば、それは疑問に思うからなんだ。

これまでの10年、俺は常に100%を出してやってきたつもりだ。もちろん、その時によって、下回ることもあったし、それを上回るパワーにみなぎっていた時期もあった。でも、それはやはり年齢か、歳と共にその100の持続が難しくなり、年々低下しているのは正直、認めたくないけど、身に染みて感じる。

憩の家みちは、自分達で考えて、誰にも助けを呼ぶことなく、模索しながらやってきた。だから、これを誰かに引き継ぐことはしないだろう。ここが終わればすべて終わり。それでいいと思う。それでも仲間がやりたいというならば、それはとことんまで教えられることは教えたいし、せめて思いを継承してくれることは有難いことかもしれない。

でも、たとえ誰かに引き継いだとしても、俺の思想や手段、方向性が100であれば、それを200、300となる可能性もあるし、また、0になることもたやすいことだ。俺も年々、楽して飯が食えればいいなぁって思う部分もあるし、数字ばかり追い求めて、すべて現場を任せっきりになれば、それは最高だろうな。

フランチャイズにしてやっているあいつらも、本当に大変だと思うけど、まったく羨ましくもないかな。だって、俺は常に現場に立ち、日々の衰えを感じながら衰退すること。もちろん、弱音は吐くつもはないし、誰にも負けたくないという思いは強い。でも、俺みたいな馬鹿な経営者は、そういうことでしか自らの固辞することができないのだと思う。理想は大勝軒のオーナーみたいな、それがかっこいいよね。分裂しちゃ困るけどさ。

俺達の未来は、厳しい中でも必要とされて生き抜く町工場か、はたまた、伝統を守る為に職人たちが集う老舗店か、そんなことはどうでもいい。いずれ歴史が証明してくれるからな。

一時期、俺は忙しくて、自分の分身があれば本当にいいなぁって心から思った。今いるスタッフを伸ばして、真の福祉とはなんぞやということを世間に証明したかった。もちろん、今でもその思いは消えてはないけど、そんな将来のことを気にするより、今、現在をどう生き抜くかということが中心になっているのが現実かな。余裕がなくなってきたんだ。

いつか本で読んだことがあるけど、死刑囚も、殺人を犯した懺悔というよりも、その日をどう生きるかが大事であり、甘いものもひとつも食べたりし、再審請求をするにもお金がかかるから働かないといけない。「申し訳ない」という十字架を背負うより、その日を生きることで精一杯だということ聞き、なるほどと思ったことがある。

今度、俺達は障害者の受け入れもやっていこうと思っている。他人はどうでもいい。俺達の現存のある能力が、どこかの誰かに役に立てればそれでいいんだ。その可能性を見出す尺度は、俺達自身が決めればいい。弱音は吐きたくないけど、弱音も必要な時もある。でも、限界までやってやろうと思う。それが介護力の差なのかもしれないけど、俺達は常にそれを伸ばしてきたし、10年の実績を積んだことは無駄なことではないはずだ。

変わりゆく介護業界だけど、俺達は常に、目の前の壁に挑んでいきたいと思う。先の見えない経営者はダメだと思うけど、そうした考えが俺の未来を導いてくれるような気がする。

新しくするのも大変だし、古さを守るもの大変だ。どちらがいいかわからんけど、福祉に対する熱い魂は、変わらずに燃え続けていきたいと思う。

でもよ、俺がフェイスブックをやり始めたら、友達が「いやいや、イッチがフェイス・顔を出しちゃやばいでしょ?」「だって指名手配だし、放送禁止だし、公園で寝ているらしい、もうとっくに死んだという噂もあったし」だってよ。コラコラ。


投稿日:2015/10/06 12:42:58