よりみち

 この“よりみち”は、家長:石津が勝手に、ウンチクを語ることで、「こんな馬鹿な男もいるんだ」と、皆さんに生きる勇気を与える為の文章を載せています。  尚、内容に関しての苦情、反論、哀れみなどはご遠慮ください。強がっているわりには、打たれ弱い性格なので・・。また「憩の家みち」とは何ら関係なく、あくまで個人的主張であることを重ねてご理解ください。

よりみち

非常識講師が語る、人生論!

俺はよくみんなに話をする。福祉や介護に携わる人間は、俺も含めて、本当にくだらない連中ばかりだ。「介護のプロ」、「最高のケア」だの、平然な顔して話す奴がいるが、ほとんどが「傲慢」とはき違えているに過ぎない。介護技術に自信を持つのは構わないが、利用者の満足に自信を持つものではない。

そりぁ、中には「本物」もいるだろうが、せいぜい施設に1人か2人ってとこだろう。「紅は園生に植えて隠れなし」、必ずその道の凄い人は目につくものだ。

俺?俺は自他共に認める「素人」だ。でも、それでも、俺のようなド素人相手に、色々な方々が優しくしてくれ、たくさんの熱い感動を頂いたことは事実だ。

ある86歳のお爺さんは、首からお守りをぶらさげている。そのお守りの中に、なぜか俺の顔を切り取った写真が一緒に入っている。

「私はね。困ったことがあると、このお守りとこのあなたの笑顔で元気をもらっているのだよ」と、言いながら、熱く俺の手を握り締める。

「これが若い女の子だったらなぁ」って思わんわけではないけど、若干、複雑な思いもありつつ、本当に嬉しかった。というより恥ずかしく、恐縮してしまった。

自分の孫のようなガキに対して、その人は、涙ながらに感謝の言葉を述べてくれる。別に、特別なことをしたわけではなく、人として極めて当たり前のことをしたに過ぎない。話を真剣に聴いただけで、共感しただけ、そして、俺の意見を述べただけ。別に俺はプロでも何でもない、あくまで「普通」のことをしたに過ぎない。それがたまたま結果として良かっただけなんだ。

当たり前のことを、当たり前にすることが「福祉」の原点だと思う。だから、平気で「プロ」なんて嘘っぱちならべるのが気にくわないのが本音だ。

福祉は自然に生まれるもの。それは自分自身がそうだったからだ。ガキの頃から、「福祉の世界に入ろう」なんて思う奴は、よっぽどの勘違い野郎か偽善者に違いない。人の世話をすることを甘く見ているのだろう。

だから、クソまじめに福祉を論じなくていい。憧れる必要もない。若者は今を自由に生きればそれでいい。自然に「福祉」に興味を持つ時に、腰を上げれば十分だ。

大人になると、昔も今も「最近の若者は・・」と決まって話をする。そのウンチクは変わらず繰り返されてきた。そして、その都度、若い奴は話を聞き流し、また立場が変われば聞き流される。それこそ、「最近の若者は○○だな」という大人の評価が、日本の教育文化の勝手ないい訳だと思っている。
 
でも、それが俺は別に悪いとは思わない。大事なことは、聞き流した中で、ほんの一つでも自分に関心や興味を持つものが出来たとき、トコトン追い求めることだ。そして、大人のやることなすことを疑え。自分の目で見たものをだけを信じろ。肌で感じたことが事実だ。

大人は色々な選択肢を紹介する為だけの存在。見て学べばいい。決めるのはお前ら個人の意志ひとつなんだ。

だから、若い連中に言いたい。人生には無駄なことなんて何一つない。だから、今は己の信じる道を突き進めばいい。自分に決して逆らわないことだ。焦る必要もない、誰もが通る道だ。それに、横道に逸れても怯えることもない。この仕事は「滑り止め」のようなもの。お前よりもろくでもない連中は腐るほどいる。だから、大丈夫だ。無理なら俺が何とかしてやる。それよりも、今を全力で生きよ。そして、一つひとつ、「人生の道」において正しく選択する術を学ぶのだ。それが必ずや、君らにとってプラスになるはずだ。

さぁ、世の中の俺のような落ちこぼれ諸君!今こそ、我々のパワーを見せつけようぞ。権力者や金持ちでなくていい、成績なんて悪くていい、己の熱いパッションを福祉という舞台にぶつけようではないか。

「草莽崛起」・・さぁ、今こそ立ち上がれ!未来はお前らの手に委ねられている。
投稿日:2008/09/01 19:22:19